BEAT主義日記 the principle of beat hotei official blog

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2015年4月21日

* 一年生

 

先日Spinefarm Recordsとの契約が英日共に発表された。

英国に来て3年目。

多くの人々との出会いがこうして繋がり、新たなるスタートを切れることを心から嬉しく思うと同時に、身の引き締まる思い。

そう。武者震いがする。

 

14歳でギターを初めてエレキギターを弾いた時、世界旅行の切符を手にいれたような気がして胸が踊ったのを今も鮮明に覚えている。

まだ故郷の高崎には新幹線など通っていない頃だ。

緑豊かな季節がくるとカエルの合唱が響き渡る、空高く土の香りがする良き時代。

東京だって遠い遠い憧れの大都会。

そんな群馬の片田舎から世界を夢見れたのも、あの日ギターを弾いたから。

 

ギターが発するスピリチャルな響き。

ギターの音には様々な声がある。

 

「叫び声」「笑い声」「泣き声」「怒鳴り声」「囁き」「うめき声」「つぶやき」「ため息」「捨て台詞」「喘ぎ声」「恍惚」「狂乱」「ジョークや皮肉」...

「無言」だってギターの声のひとつだ。

 

シンガーではなくギタリストへの道を選んだのが、僕のアドベンチャーの始まりだ。

「音」という「声」に全てを賭けたくなった。

男が一度でかい夢を見てしまったのだからしょうがない。

追いかけるしかないだろ?

 

バンド、青春時代、成功や裏切り、出会いや別れ、決して順風満帆だったわけではなく、喜びの向こうにはいつも悔しさが待ち構えていた。

しかしそんなすべての感情が僕の創作の源であり、若さという吹き荒れる風の中にいる限り、僕の音が枯れることはなかった。

東京で過ごした30年という年月が、それを優しき風に変えてしまった。

今まで味わったことのない焦りと無力感に襲われた。

そして選んだロンドンでの生活。

夢に向かって走っていないと、ギターを弾いてる理由がなくなってしまう。

自分がロッカーだということの説明がつかなくなってしまう。

そして今、群馬の空によく似たロンドンの空の下、あの頃と同じ気持ちでギターを弾いている。

 

世界へ。

 

「お前が本気なら、ひと肌脱ごうじゃないか」

 

イギポップがHow the Cookie Crumbles」をシングルとしてリリースすることを快諾してくれた。

ギタリストであるからこそ実現したこの夢のようなコラボレーションから僕の第3章が始まる。

物語は今後どう展開してゆくのか、僕にも誰にもわからない。

しかしきっと面白い展開になるに違いない、と信じてくれている人々がそばにいることが嬉しく心強い。

きっと夢を叶えてみせる。

 

 

近況といえば、対談から親交を深めたAndy Gillのバンド"Gang of four"のアルバムに参加し、ロンドンでの小さなギグに飛び入りしたり、旧友の元ジグ・ジグ・スパトニックのギタリスト Neal Xの新バンド"The Montecristos"のライブで"C'mon Everybody"など2曲弾いたり、Roxy MusicAndy Mackayとアブストラクトでプログレッシヴなセッションを重ねたり、日本ではCharさんの還暦をお祝いするアルバムに参加したりと久々にギター小僧している。

 

How the Cookie Crumbles」の615日のイギリス及びヨロッパ配信に向けての準備、そして秋を目標にワールド・リリース・アルバムの制作など、イースターホリデーがあけた今週からいよいよ本格的に動きだす予定だ。

(なんせホリデー中は誰も働かないのです)

 

ロンドンにも春がきた。

 

今年の春は僕にとってもスタートの時。

 

ピカピカの小学一年生を見習って、胸を張って堂々と進もう。



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「毎年素敵なサプライズがあるのは嬉しいけど、そろそろお互い内緒と気づかぬフリをするのも疲れてきたと思わない?
 プレゼントを贈る方も気を使うだろうし、今年は家族だけで食事しようよ」

「そうね。素敵なレストランを探しておくわ」

そんな会話をしたものの、数日前には近しいスタッフがなんとなく怪しいそぶりを見せ、
なるほど、きっと数名が集まってクラッカーでも鳴らしてくれるのかな?
とまた気づかぬフリをしながら迎えた2月1日。僕の53歳の誕生日。

その日はイスラム国の暴挙に揺れる世界のニュースに絶望し、そんな日に誕生日を迎えたことが申し訳ない気分だったが
53年前の母と父は、世界で一番幸せだったと信じ、母の位牌に向かって手を合わせ「ありがとう」とつぶやいた。
今年に入ってから美樹さんのライブの準備等でなかなか家族揃って食事に出かける機会もなかった。
グリーンのタータンチェックのタキシードジャケットに黒のニットタイ、タキシードパンツに着替えて気持ちを切り替える。
定刻通りに到着したタクシーの助手席に乗り「レストランはどこ?」と聞いても「ピカデリー」だよ、としか答えぬ女子二人。
「さて今夜はお祝いのディナーだからランチを我慢したから腹ペコだぞ!」と上機嫌なバースデー・ボーイ。
黄金のイルミネーションが美しいHarrodsを越え、冷たい冬の空気似合うロンドンの街並みを抜け、Green Parkへ。
すると思いもよらぬ場所でタクシーは止まった。ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツだ。http://www.royalacademy.org.uk/
予想もしなかったシチュエーションに「え?この中にレストランなんてあるの?」と驚くバースデー・ボーイ。
建物の端の小さな入り口の扉を開けると「ミスター・ホテイ?」とクロークボーイ出迎えてくれた。
コートを預け静かな細くて薄暗い廊下を歩く。
「レストランはこの奥にあるのかな?」と従業員に訊いても、ただニコっと微笑むだけ。
一つ目の部屋を通り越し、二つ目の部屋を過ぎようとして中をちらりとみた瞬間、サプライズは成功した。
そこには80人ものロンドンの仲間たちが、その夜の仕掛け人として僕を待ち構えていてくれたのだ。

14歳の時、群馬の高崎という町でロックンロールと出会ったその頃から僕は
『夢見るロンドンボーイ』だった。
BOØWYのベルリンレコーディングの帰りに初めてロンドンを訪れたのは1985年。
あれから30年の月日が過ぎたということになる。

初めてのロンドン滞在時はヴィヴィアン・ウエストウッドのワールズ・エンドを目当てに、キングスロードを何往復しただろう。
もちろんその頃はヴィヴィアンに行っても買えるのはソックスくらい。空っぽの財布に涙目の僕はレコード会社のディレクターやプロデューサーから数万円を借り、古着屋で革ジャンを買った。
脱いだらそのままの形で倒れないくらい硬かったが、当時の僕には世界一かっこいい自慢の革ジャンだった。

会場で懐かしい顔を見つけて「変わらないな!」「君も全然変わらないよ!」と肩を抱き合う。
ジグジグ・スパトニックのニールXやジーザス・ジョーンズのメンバー。生年月日が全く同じのNOKOもいる。
お互い顔は少し痩けて髪には白いものが混じり、抱擁すると背中の厚みに過ぎた年月を感じる。
大切なゼマティスを譲ってくれた楽器会社の社長やあの日のパンク少女も今や紳士と淑女だ。
家族で二年半前に移住してから出会ったミュージシャンたちや音楽業界の友人たち。
インコグニートのブルーイやスウィングアウト・シスターズの二人、ギャング・オブ・フォーのアンディ・ギル、そして腕利きのスタジオ・ミュージシャンやエンジニア。
異国に暮らす同じ日本人の先輩や仲間達もたくさん駆けつけてくれた。
英国、フランス、ロシア、インド、アメリカ、スペイン、フィンランド、ドイツetc...etc..
国籍こそ違えど、皆ロンドンを愛すロンドナーだ。
この二年半でこんなにもたくさんの友人をこの街に持つことができたことが幸せで、ただ幸せで、
胸がいっぱいになった。

笑顔あふれる和やかなパーティーの途中、英国のマネージメントを担当してくれているアーロンの挨拶に続いて美樹さんが紹介される。
数日前、初めてのロンドン公演で英語でMCをすることをあれほど重荷に感じていた彼女が、はにかみながらゆっくりと英語で話し始めた。

「まずはみなさん、私の英語を大目にみてくださいね(笑)今日はみなさん忙しい中、HOTEIさんのパーティーに参加してくれてありがとう。みなさんのおかげでサプライズは大成功しました!こうして素晴らしい仲間に囲まれて嬉しそうにしているHOTEIさんを見て、私もとっても嬉しいです。みなさん、愛してるよ!HOTEIさん、愛してるよ!」

会場からの大きな拍手に笑顔で応える美樹さん。とても素敵なスピーチだった。
(美樹さん、あなたの英語はチャーミングですよ!)

誰もが自分が歳をとることが信じられないものだ。

大人になるのが少し照れ臭く、いくつになっても子供のままの自分が申し訳なく、
そして二度と戻らない季節の記憶を辿れば、切なく悲しい。

と同時に、あの日の自分より優しくなった自分が愛おしく、
全力で走り抜けた若き日々がヒリヒリと誇らしい。

53歳になった僕の目標を一言でいうと「健康第一」。

ロッカーが健康を気にするなんてカッコ悪い、と昔の自分なら言っただろう。

しかし今は違う。

「健康じゃなければ思いっきりロックもできないだろう?」

優しさが強さと感じさせる大人になりたい。

ワイルドなギターが優しく聞こえるギタリストになりたい。

いくつになっても少年のままの自分でありたい。

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英国でご活躍なさっている川秀子さんによる奇跡のARTケーキ。

(All Photo by Kazuyo Horie / Thank you so much!!!)






最高のサプライズを企画、そして参加してれたみなさん、ありがとう!

日本からもたくさんのバースデーメッセージが届きました。
この場を借りて、「みなさん、ありがとう!!!」








最後の更新を見たら昨年の10月11日、ツアーのリハーサルの様子を伝えるもの。
なんと4ヶ月も更新していないのだから我ながら呆れる。
更新を待っていてくださった方がいたとすれば大変申し訳ない。
このブログがあることも忘れられているかもしれないけど、近況をご報告させていただきますね。

まずは新年のご挨拶からスタートすべきかな?(苦笑)
4ヶ月分を詳しく書くと絵巻クラスの長文になりそうなのでダイジェストで。

最後の書き込み「ツアー、たまらなくカッコいいよ!」の言葉通り。
"Into the Light tour"(別名『たまらなくかっこいいツアー』)も無事終了。
ドイツから参加してくれた照明チーム「KINETIC LIGHTS 」(http://www.kinetic-lights.com/)の空間を生かしたインスタレーション演出は、今までのロックコンサートの予定調和を打ち破り、モダンでクールな効果をもたらしてくれた。
インストが半分を占めるセットリストに、拳を上げ日頃の鬱憤を晴らしたいオーディエンスには8ビートが足りなかったかもしれないけど、トニー・グレイの驚異的なベースプレイ、ザッカリー・アルフォードの野獣のようなビート、岸利至の緻密なプログラミングと合わせて、最新のHOTEIが最高のHOTEIであることを証明できたと思う。
ただいま映像編集中。

WOWOWでの『布袋寅泰 JAPAN TOUR 2014 -Into the Light-』は
2/22(日)よる9:00から放映です。どうぞみなさんでお楽しみください。
http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/106196/index.php?m=01

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Photo by 山本倫子(MichikoYamamoto)

GQ MEN OF THE YEARという栄えある賞もいただき...

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年末はBeat Crazy会員限定ライブ『B.C. ONLY』を東京、名古屋、大阪で開催。
亀田誠治、カースケとの3ピースで熱く盛り上がった。スリーピースはいいね。音と音の間を楽しめる。
Beat Crazyのメンバーは家族のようなもの。忘年会みたいなムードで笑顔の絶えない素敵な時間だ。
みんなありがとう。次回も楽しみ。

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クリスマスは家族で過ごし、年末はギリギリまで美樹さんのレコーディング。
大晦日にロンドンに戻り、BBCで噂の花火を観る。
日本では花火は夏の風物詩だが、こちらではガイ・フォークス・デイと呼ばれる11月の催しを中心に
澄んだ冬空に響く乾いた音とクリスタルのような光が印象的。
BBCでの年越しを飾るのはフレディ亡きあとも国民的人気を誇るQUEENの演奏。
アダム・ランバートの好パフォーマンスも印象的だった。


年が明けて2015年。


ロンドンで家族と過ごす新年はとても穏やかだった。
お餅を焼いたりお雑煮を作ったり、やはりここにいても日本のお正月を味わいたい。
東京〜ロンドンの時差はきつく、毎回戻るまでの数日は早起きしてしまうのだが、
ロンドンの冬は朝の8時を過ぎても真っ暗だ。半郊外のわが町では早朝ジョギングは難しい。
夕方は4時を過ぎるとまた暗くなる。燃えるような朝焼けと夕焼けは息をのむほど美しいが、朝晩はかなり冷え込み、愛車の窓は凍る。
フロントガラスの氷かきから始まる毎日。東京では考えられないことだ。

1月はホリデー明けでなかなかエンジンがかからず、挨拶や打ち合わせなどでのんびりしているとあっという間に時は過ぎるもの。
しかし今年は違った。
今井美樹の初めての日本以外での公演、『Miki Imai New Year Concert@Cadogan Hall』が1月23日に行われるからだ。

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今回のコンサートは前作のユーミンのカバーアルバム「ダイアローグ」のプロデューサーであり、僕の20余年来の友人かつ音楽パートナーのサイモン・ヘイル氏がピアノと弦アレンジ担当。ロンドン在住で幅広いジャンルでのセッションでご活躍のバイオリニスト佐藤琴乃さん(http://www.kotonosato.com/)を中心としたカルテットの編成にしたのは、会場のカドガンホールが教会を改修した美しい佇まいとアコースティっクで豊かな音響に恵まれた会場であるからだ。
美樹さんの性格はウサギとカメの物語で例えるなら間違い無くカメ(僕は間違い無くウサギ)、慎重で注意深く、石橋を叩いて叩いて叩いて、さらにまた叩いて叩いて腕を組み、さて次はどんな叩い方がいいかを考えるタイプ(などと言ったら彼女はきっと反論するだろうけど)。
ロンドンに移り住んでから何度か「いつか君もこの町でライブをやるべきだよ」と僕が言うと
「それはあり得ない。英語も喋れないし、ここで私が日本語の歌を通じて観客のみなさんに何を伝えるべきか判らない」と彼女は頑なに拒み続けてきた。
僕の思いに根負けし、重い腰を上げてブックしたこのコンサート。たった一紙の日系向けフリーペーパーに広告を載せただけにも関わらず、900枚のチケットは瞬く間に数日間で売り切れた。きっとそれはロンドンに暮らす多くの日本人の方々が今井美樹の歌、そして彼女の歌を通じて豊かな日本の心を感じたい、と思っていただけたからに違いない。サイモンとの打ち合わせ、カルテットとのリハーサル。本番日が近づくにつれ高まる緊張感。前日まで英語でのスピーチがうまくできないと毎日夜中まで頭を抱えていた彼女だが、記念すべき初ロンドンコンサート当日、彼女に神が降りた。

静まる会場が彼女の登場とともに暖かな拍手で満たされる。ホール全体が音楽と一体となり豊かでふくよかな響きに包まれて彼女は歌い始める。
一言一言を大切に手紙にしたためるように歌う彼女の歌は、日本語の美しさがメロディと共に舞っているようで、会場の英国人にも間違いなく届いていた。
曲が終わるたびに溢れる拍手が彼女の気持ちを満たし、高めてゆくのがわかる。
時にミュージカルのように、そして時に前衛舞踏音楽のように、エレガントで色彩豊かなサイモンのピアノとカルテットのマリアージュ。
天国への招待状も届いたはずだ。彼女の父上も僕の母も、きっとこの会場にいる。
「プライド」のイントロで会場の熱気は最高潮に。アンコール曲「太陽のメロディー」は口蹄疫で苦しむふるさと宮崎のために作った曲だが、異国に暮らす日本人のそれぞれのふるさと、そしてこのロンドンという街をもうひとつのふるさととして愛して止まぬ皆の心を一つにした。

「どんな雨にも負けないと この街いっぱいに降り注ぐ 太陽のメロディー」

鳴り止まぬ大きな拍手。スタンディング・オベーション。そしてまた拍手。

ステージの彼女は溢れる涙を隠すために客席に背を向けた。

そしていつもの天使のような笑顔で振り返ってくれた。

客席のど真ん中で、僕も笑顔で泣いていた。


"Take the first step in faith. You don't have to see the whole staircase, just take the first step."

まず何も疑わず最初の一段を登りなさい。目の前の階段全体を見る必要はない。
とにかくまず一段目に歩を進めなさい。


キング牧師の名言である。
最初の一歩がどれだけ重くても、その一歩を進まずして二歩目はない。

コンサート終了後、美樹さんは言った。

「私、またここでやりたい!」




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Photo by 堀江和代(Kazuyo Horie)


というわけで、あっという間に1月が過ぎ、(4ヶ月が過ぎ...)

昨日僕はまた誕生日を迎えたのでした。

感動のシークレットパーティの模様は次回。
たぶん、数日後 ...
少なくとも次の誕生日が来る前に。



2014年10月11日

* リハーサル中!

リハーサル、順調に進行中!

ツアー、たまらなくカッコいいよ!

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このアルバムは世界への挑戦に全身全霊をかけて作った勝負作です。

まずはホームタウンの日本に向けJapan Editionがリリースされました。

今までとは違う、だけど今までで一番僕らしい、

様々な冒険と実験、そしてロマンチシズムに満ちた自信作です。

長きに渡り応援してくださっているファンの皆さんはもちろん、

今まで僕の音楽に興味なかった方々にも必ず楽しんでもらえる作品だと自負しています。

14才の時、初めてロックのレコードと出会ったあの時の自分のように、

中学生や高校生にも聴いてもらいたいな。

ロックがまだギラギラしていた時代のグラムロックや、壮大なプログレッシヴ・ロックを聴いていた、

そして今もロックを愛して止まない大人にも是非聴いてもらいたい。

ブレードランナーやDIVA、タランティーノのパルプ・フィクションやKILL BILL、

デヴィッド・リンチのブルー・ベルヴェットやツインピークスなどのサントラが好きな映画音楽ファンにも聴いてほしい。

そして、音楽を作り、伝えることの難しさを知っている日本のプロのミュージシャンやアーチストにも聴いてほしい。

歌うことをやめましたが、どの曲も言葉以上にギターが歌っていると思います。

こんなアルバムが、ずっと作りたかった。

今僕はようやく新たなスタートを切れたという思いでいっぱいです。

どうか一人でも多くの人の耳に、心に、届きますように。

もうすぐツアーのため、日本に戻ります。

最新のHOTEIを楽しみにしていてください。

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「Don't Look Back」の精神で、自分の人生を振り返ることはせずいつも前を向い生きてきた。

振り返れば反省や後悔や悲しみや懺悔や、愛しきも苦しきも山ほどの思い出に心を乗っ取られ、
身動きが出来なくなり立ち尽くしてしまいそうだ。
そもそも30代、40代はやりたいことも山ほどあるし、振り返る暇などない。
しかし50代も過ぎると若気の至りをも受け止め謙虚な気持ちで、自分の歩んできた道、
そしてその道で出会い巡り会った様々な人々と紡いだ物語をふと振り返りたくなるものだ。
その時は単なる一つのエピソードでしかなかった小さな事柄が、後のストーリーと絡まって大きな意味を持つことになったり、
その時は死んでしまいたくなるほど悩み苦しんだことも時が経てば昨日の雨のように、今は消えて触れることすら出来ない一瞬の出来事であったことに気づく。

「ギタリズム」から25年

2014年10月。
BOØWY解散後、初めてのソロアルバム「ギタリズム」をリリースしてから今年でちょうど25年が経つ。
シンプルながらもカラフルで、一つのジャンルに捕われることのない自由な発想で極めた4ピースの美学。
いつも一緒だった仲間と別れ独りで歩き出すのは正直言って怖かったけど、「日本の次は世界だ!」と志しは高く、
ロンドンに渡り伝説のアビー・ロード・スタジオでレコーディングが行われた。
世界発売を目指し全編英語の歌詞にトライした。バンド時代はデモテープやコーラスなどでなんちゃって英語をたまに歌っていたものの、
英語を歌うのは想像以上に難しく、頭をかきむしりたくなるのだった。
アルバムは完成した。しかし世界の扉は開かなかった。

それから25年後の現在。
僕はここロンドンに暮らし、懲りずにまたあの時と同じ挑戦を繰り返している。
新作のレコーディングが始まってから6ヶ月近くが経とうとしているが
今回は世界発売に向けたくさんのアーチストやプロデューサーやエンジニアとの共同作業の日々だ。
最近はデジタルレコーディング機器の発達により、それぞれが小さいながらも録音に充分なスタジオを自宅に持っている。
僕はもらった住所をナビに入れ、ギターやアンプやペダルなどをミニクーパーのトランクに入れ、毎日あちこちのスタジオに向かって運転をしている。
ロンドンは渋滞が始まるとまったく動かなくなる。移動に往復4時間かけてのセッションもある。
そんな毎日にも慣れてきた。弦の張り替えもずいぶん早くなったし、セットアップや片付けも早い。
夕焼けのロンドンをカーラジオを聞きながら運転するのも悪くない。
フラッとパブに入り独りで夕食をとることも少なくない。
タクシーを使って、ローディーも雇って、ただスタジオに出向き演奏して帰ることもできる。
しかし英国でまだ一銭も稼いでいない自分がそれをするのは身分不相応だ。
街で以前乗っていたベントレーやアストンマーチンの姿を見ると眩しいけど、今の僕にはミニが似合っている。
相棒ミニがボロボロになるまで、行けるとこまで行こうと決めたのだ。

スティーヴ・オズボーンというエンジニア&プロデューサーとのセッションのため、バースという西洋風呂発祥の町にあるリアルワールド・スタジオを訪ねた。
「ギタリズム4」の録音のためスタジオのアコモデーションに1ヶ月近く滞在したのは20年前のことだ。
その頃は音楽業界もバブルとも呼べるべくCDが数十万、数百万枚も売れた時代だ。
宇宙船のような巨大で豪華なスタジオを一ヶ月もロックアウトしたなんて贅沢な話だ。今では考えられない。
時には前夜のパーティーが祟って二日酔いでスタジオをキャンセルしたこともあった。
部屋の小さな机に向かって「サレンダー」や「薔薇と雨」などの孤独な詩を書いた。
その頃僕は東京に帰る場所がなく、ホテルに暮らしていたんだ。
とそんなことも思い出す。
「ギタリズム4」に「孤独」という言葉が多いのは、そんな理由だ。

レコーディングが終わり、僕はスイスのモントルーにある「マウンテン・スタジオ」に向かった。
QueenやDavid Bowieのエンジニアで知られるデビッド・リチャーズにミックスを依頼したのだ。
スタジオの小さな扉を開くと洞穴のような部屋があり、古いNeveのコンソールや様々なエフェクターが壁にマウントされていた。
数々の名作を生んだそのスタジオで「薔薇と雨」のミックスをしている最中にノックもなく入り口の扉が開き、スキーウェアに身を包んだ男がスタジオに入ってきた。
髭をたくわえたDavid Bowieだった。
「ミックスを続けてくれ」と言うと卓の端に座り「薔薇と雨」を聴いていた。
「リバーブがとてもミスティーで美しいじゃないか。ファンタスティック!」と一言感想を述べてくれた。
リチャード氏はとても気さくで繊細な人だった。町中のレストランを案内してくれた。
カジノで並んでスロットもした。自宅に招いてくれたこともある。奥さんに怯えているような印象だった。
ある日はチャップリンの生家に我々を連れて行ってくれた。ヘリポートのある庭に先日マイケル・ジャクソンが訪れた、という。
広い壁に飾られた無数のチャップリンの写真。とてもダンディーな印象だった。
スタジオでの休憩時間中、リチャーズはかの有名なDeep Purpleの名曲「Smoke on the water 」にまつわる話を聞かせてくれた。
フランク・ザッパが演奏中に火事が起きて煙と水浸しになったという歌詞はこのスタジオの上のカジノで起きた実話なのだと指で天井を指すのだった。
ここモントルーには伝統のジャズ・フェスティバルがある。
マイルスやハンコックなどのジャズの偉人たちのみではなく、世界中からジャンルを超えた素晴らしいミュージシャンたちが集まって、街中で音楽を楽しむんだ。
布袋もいつか必ずここで演ってくれよ。その時は必ず観にいくからな!

Japan Dayと題された日本とスイスの国交150周年記念の催しがモントルージャズフェスティバルで開催される。
そしてそこに自分が日本を代表する音楽家としてリストアップされたことは身に余る光栄であると共に、今の自分の力を試す大きなチャンスでもある。

「Warm Up Gig@The Lexington Club」

今年の夏はまだ始まったばかりだが、すでにいくつかのGigやフェスに参加した。
ロンドンのThe Lexingtonという小さなパブでWarm Up Gig(こちらのバンドはツアー前に小さな会場でよくやるそうだ)は楽しかった。
200人入ると満杯の会場。ステージが始まると後ろにジグジグ・スパトニックのNeal XやApollo 440のNOKOなど友人達の顔が見える。
ステージ前を見下ろすと、なんと1メートルの距離にたまたまロンドン御滞在中の菊池武夫先生が立ち見でビートに合わせて身体を揺らしてくださっている。
(中学生の頃『BIGI』のロゴの入ったアイボリーのトレーナーを着て大人への背伸びをしていた頃を思い出すと、考えられないことだ!)
ロンドン在住の日本人の皆さんや英国の友人達、そして多くの関係者も駆けつけてくれて大盛況だった。
一人の英国人ファンは僕の参加したAsiaというバンドのCDにまでサインをしてくれと言ってきた。
一人ずつファンが増えていくのが本当に嬉しいしありがたいことだ。

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                                                                                 Photo by Kazuyo Horie
「Cornbury Music Festival」

そして次はオクスフォードシャーにあるCornburyという街での「Cornbury Music Festival」。
連日BBCで放映されていたグラストンベリーの規模の大きさに比べれば本当に小さなフェスティバルだけど、
敷地内はとても良いバイブレーションに溢れていて、家族や子供連れも多く、皆が笑顔で音楽を楽しんでいる。
僕の出番を待つ間、BBCや地方局のインタビューが飛び込みで入ってくる。
相変わらず英語のインタビューは苦手だがそうは言ってられない。
小さなチャンスを逃さない、をモットーに恥も捨てて必死に答える。
キッド・クレオール&ザ・ココナッツの演奏が終わり楽屋に戻ってきた。
オリジナル・サバンナ・バンドからのファンとしてはこれまた夢のような2ショットだ。

テントでメイクをしていると隣りのテントから話し声が聞えてくる。
「さて、今日のウォームアップはどの曲にしよう?」「Donnaだ」
との一声でアカペラコーラスが聞えてきた。
そう!隣りの楽屋は10cc!
文字通りすり切れるほど聴いたかの名曲「Donna」の生アカペラをテント越しに聴けるなんて!
(思わずiPhoneで録音してしまった)

キッド・クレオールと10ccに挟まれて出番を待ち、いよいよ本番。
さっきあがった雨がまた降ってきて心配するも、英国の天気は女心より秋の空より変わりやすい。
案の定3曲目のBattleが終わった頃にはステージの上に大きな虹がかかったという。
観客の9割以上が僕を知らない、完全にアウェイの状態でのステージは逆にやりやすかった。
僕に対する固定観念がないオーディアンスは、ありのままの自分を受け止めてくれる。
最初は半信半疑だった表情が曲が進むにつれ高揚し、最後には大きな拍手と声援に変わるその瞬間が好きだ。

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                                                                                 Photo by Brian Rasic

「Montreux Jazz  Festival」

そしてモントルーへ。
本番2日前に到着したレマン湖畔は山の気候も手伝って気温が低く、激しく冷たい雨も止まず、
フェス会場敷地内の各国料理の出店も人影も少なく淋しい印象。
夜中に野外で演奏する僕らの前に果たして観客が集まるのか不安になる。
前日の我々と同じ演奏時間11:30pmにはステージの前にお客さんは10人くらいしかいなかった。
これは過去最低動員記録を作ってしまうか?などど気弱になるも娘が
「私が10人分拍手してあげるから大丈夫だよー!」と元気づけてくれる。

モントルーは小さな街だ。
街を歩きながら20年前に訪れた時のことを思い出す。
驚くほど物価が高く普通のサンドイッチが¥2500くらいしたのに驚いたものだ。
持っていったカップラーメンがありがたかったのを思い出す。
街並は少しビルが増えたものの、当時とあまり変わらず。
マウンテンスタジオはどこだったっけ?と小道を抜けてゆくと、カジノのネオンを見つけた。
カジノの角を右に曲がる。
そう、そこに小さな扉がある。
その横には駐車場がある。
そう、そこにDavid Bowieは自ら運転してきたシルバーのゲレンデワーゲンを停めた。
僕は開かないと判っていたが、ドアのノブを回してみた。
カチ、と音がして僕の記憶の扉が開いた。
「布袋もいつか必ずここで演ってくれよ。その時は必ず観にいくからな!」
二人のデヴィッドさんに話しかける。
「I'm back. 帰ってきました」
一人は昨年ニューヨークで10年振りのアルバムを作り、世界のファンを喜ばせた。
もう一人のデヴィッドは天国にいる。
癌だったそうだ。

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フェスティバルではMassive AttackとLaura Mvulaを観た。
どちらも感動的なステージだった。
Laura Mvulaとは終演後にお会いできた。とても知的でチャーミングな人。
いつかコラボレーションができたらいいね、と握手を交わした。
ホテルのロービーでミーティングをしていると上原ひろみちゃんとサイモン・フィリップスが到着した。
彼女はいつも世界を飛び回っている。ロンドン公演にお邪魔した際「モントルーで一緒に演れるといいね!」
と言っていたのだが、今回は無理そうだ。いつか必ず。

思い出と語り合ったり、フェスを楽しんでいるうちに僕らの出番の時間が近づいてきた。
雨は小降りになっている。
僕らの前はブルーノート・ジャズ・オーケストラの皆さんが熱演を繰り広げていた。
残念なことに彼らは持ち時間を20分もオーバーし、僕らのセッティングの時間が大幅に削られた。
1時に演奏を終えなければ電源を消す、と主催者側からも強く言われ、流れによっては2曲カットしなければならなくなった。
大勢が参加するフェスで持ち時間を守らないのはとても無礼なことだ。

しかし「Show Must Go on」
司会者が「HOTEI !!!」僕の名前を叫び、定刻通りにステージは始まった。
モニターの設定も間に合わず、一曲目は自分のギターがほとんど聞えない状態でプレイするしかなかった。
しかしこうしたアクシデントに飲まれてはいけないということを今までの経験から知っている。
アクシデントは楽しむもの!
どうにか2曲目で気を持ち直し、動揺を隠してフランス語で挨拶をするもボンソワー、をボンジュールと間違えてさらに動揺。
「おそらくここに集まったほとんどの皆さんは僕の名前すら知らないでしょう。
しかし次にお送りする曲はきっと多くの方がご存知だと思います」
と勝負曲「Battle without honor or humanity」を紹介しカウントが始まりギターをヒットするも音が出ない!
ギターテックのアルを見ると顔が真っ青になっている。
後ろに積んだKemperというデジタルアンプを見ると電源が消えている!
現地のスタッフが電源コードに足を引っかけて抜いてしまったらしい。
慌てて電源を入れ直すも、デジタルのホーム画面が立ち上がるまで2分くらい時間がかかる。
テーマが始まるまでの32小節のイントロは導火線のように過ぎてゆき、
あと10秒、あと5秒、あと3秒!
と、その瞬間奇跡的にアンプは立ち上がり、テーマの出だしに間に合った!
そしてこの曲が始まると会場にみるみる人が集まってきて、最後は2000人以上もの観客が身体を揺らしはじめた。
そこからバンドとオーディエンスが一体となり、とても自然で、とても暖かい時間を過ごすことができた。
最後の曲が終わっても拍手は鳴り止まず。
司会者が出てきて「もう一曲やりませんか!!?」と僕に問いかける。
時刻は1時3分前。
「いいえ、僕らはやるべきことをすべてやりました」
日本人は時間を守るんです。

バックステージも興奮に包まれていた。
娘は「お客さんたーくさんいたよー!」と笑っている。
バンドは皆見たこともないぐらい興奮していた。
「モントルーで最高の演奏が出来たことが幸せだ!」と皆が誇らしそうだった。
東京からきたマネージャーもロンドンのマネージャーも
今回から加わった新しい「HOTEI WORLD TEAM」のみんなが笑顔で高揚していた。
天国のデヴィッド・リチャーズも拍手してくれたかな。
ローリング・ストーンズとの共演と並び、今年の、いや、我が人生で忘れることのない
最高のステージだった。

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ステージでしか生むことの出来ない「今」。
僕はこの瞬間を味わいたくて生きているのだと思う。

サーファーにとっての波、ランナーにとっての過ぎ行く景色、科学者にとっての小さな気づき、
親と子の何気ない会話、画家にとっての一筆、料理人にとっての一味、噺家にとっての間、
釣り人にとっての空気の揺れ、答えだけがすべてじゃない。

先日友人が全身全霊を賭けて挑んだアイアンマンレースでゴールが出来なかったと聞き、
僕はこうメッセージを送った。

「またゴールに向けてスタートできるんだね。おめでとう!」

ステージからすべてを学んできた。
これからもたくさんの「今」と出会うために、自分磨きの精進を重ねていきたいと思う。

52才にして、振り出しに戻る。
これからは振り返るヒマなど当分なさそうだな。

前進あるのみ。

応援してください。

いつまでも!

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                                                                           2014 7/12 レマン湖にて





















2014年7月14日

* This is my true feeling.

もし彼が本当にステージから姿を消してしまうなら

「最後のステージはせめて一曲でも 隣りでギターを弾かせてほしい」

そう願うのみ。

「布袋さんの撮る美樹さんはいつもナチュラルで素敵ですね!

 他では見れない美樹さんばかりです!」


との周囲のお世辞言葉を真に受け、


「そう?そうかなぁ!じゃぁ、今度のツアーパンフ、僕が撮ろうかなっ!」


なんて頼まれてもいないのに言い出したのはいいけれど、さて撮るぞ!

と気合いを入れてファインダーをのぞくと

彼女の表情は硬い。


「だっていつものあなたと違うんだもの」



そう。写真は気合いで撮るものではない。



僕も撮られる側としてたくさんのカメラマンの方と向き合ったが、

「いいですねー!クールです!カッコイイー!」と褒めちぎられるとイライラするし

といって無言で黙々とシャッターを切られても、沈黙に絶えられなくなる。

「レンズをグーッと睨んでください」と言われて目力入れればまた強面になるし、

背の高い僕を下から煽って「もっとアゴを引いてください」と引けばアゴもなくなるわけで...。

撮られていて気持ちの良いカメラマンとは

「まるで家族のように目の前にいることが当たり前に思える人」だ。

目の前にいるのが当たり前の僕が眉間に皺を寄せて執拗に粘り越しでシャッターを切れば、

「あなた、いつもと違うわよ」

と言われて当然だ。

いつもは「こっち向いて」とも言わず、気の向くまま一度だけシャッターを押すだけなのだから。


真っ赤なルージュの大きな口をガーッと開いて、顔をくしゃくしゃにして笑う。

一世風靡したその笑顔の持ち主は、当時を振り返ってこう言う。

「いつもの今井美樹スマイルをお願いします!」と言われてカメラの前に立つのが本当に苦しかった、と。

笑っているのが当たり前の人間なんていない。

人とはいつも悲しみや苦しみと共にいる生き物だ。

笑えと言われて笑えるものか!


「もうちょっと笑ってよ


目の前にそびえる187cmの存在感旺盛(?)なカメラマンからそう言われて苦笑いするしかない彼女。

地べたに這いつくばってもデカい。

こればっかりはしょうがない。

小さくなれないものね。小心者だけど。



『暗黒の季節』とも形容したくなる冬のロンドンにも心暖まる日射しがある。

そんな光を季節をモノクロームで撮った。


春風をカラーで捕まえた。


雨の日のレインコートや地元のパブでのランチ。

家族で旅行したローマの休日や初めてのサッカー観戦。

春の色彩溢れる街並の散歩や、庭でルーリーと和みながら僕のギターをつま弾く姿。


ようやくいつもの僕に戻れた時「誰も見たことのない今井美樹」を撮れたような気がする。



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5月1日。


今日は美樹さんのお父さんの13回忌。


朝陽に照らされて、母と義父の写真が笑っている。

二人に美味しいコーヒーを淹れてあげよう。

ロンドンでの笑顔の娘と孫娘を、見せてあげたかったな。



今井美樹コンサートツアー2014「Dialogue」の日程は以下の通り。

ロンドンのミュージシャンと共に里帰りです。

ユーミンのカバーと今井美樹の代表曲と、最強の笑顔をお届けします。




5/9(金) オリンパスホール八王子 [東京] 開場18:00 開演18:30


5/12(月) 仙台電力ホール [宮城] 開場18:00 開演18:30


5/14(水) オーチャードホール [東京開場18:00 開演18:30


5/15(木) オーチャードホール [東京開場18:00 開演18:30


5/17(土) 愛知県芸術劇場・大ホール [愛知開場17:00 開演17:30


5/21(水) 宮崎市民文化ホール [宮崎開場18:30 開演19:00


5/24(土) フェスティバルホール [大阪開場16:30 開演17:30


5/25(日) フェスティバルホール [大阪開場16:00 開演17:00




是非皆さんでお出かけくださいね!


グッズ売り場でお待ちしています!

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あ、通販先行販売もよろしくお願いします! (カメラマンより)

imaimiki-store.com

The Rolling Stonesとの共演...。
そのあまりにも奇跡的かつ生々しい体験から現実に戻れぬまま英国に帰国して間もなく
Mick Jaggerの恋人のローレン・スコットさんの訃報を聞き愕然とする。
ブログにストーンズの事を書く、という気持ちにはなれなかった。

3月6日。
あの日、東京ドームの楽屋で初めて会ったMick Jaggerは溌剌としたエネルギーに満ちあふれていた。
伝説の唇を大きく開いて眩しい笑顔と共に和やかな挨拶を交わした後、
彼は突然チャック・レヴェルのエレピに合わせて目の前で腰をくねらせながら
共演曲の「Respectable」を歌いだしたのだった。
隣にいたロニー・ウッドがエアーギターでソロの場所を僕に合図する。
「次はホテイだ!」とロニーが言うと「いや、ここはキースに弾いてもらおう!」とミックが提案する。
ミックの楽屋で皆が踊りながら「Respectable!」と合唱していたことを誰が信じてくれるだろうか。

数十分後、ステージでサウンドチェックを兼ねたリハーサルが始まる。
キース・リチャードに会ったのはステージの上だった。ずっしりとした握手。深い眼差し。
アンプから突き刺さってくるギブソンの音。
佇まいからなにもかもがとてつもなく大きな存在だった。
チャーリー・ワッツは腕時計の皮のベルトを上品にはずし、軽快なジャズのビートを叩いていた。
キックを踏む足下は磨き上げられたコインローファーだった。
ミックは「Enjoy!楽しもうぜ!」僕の肩を叩いてくれた。
リハーサルでも彼はステップを止める事はなかった。

Show Time !
僕はステージの袖で彼らのショウを見せてもらった。

そしてミックに名前を呼ばれステージに向かう。

後ろにはチャーリーが。両隣りにはロニーとキースが。
そして目の前にはミック・ジャガーがいた。

ここからの話をするのはもう少し時間が経ってからにしよう。
僕のつたない文章でそれを伝えることは不可能だからだ。
5年後、10年後には言葉にできるかもしれない。
いつまでもできないかもしれない。

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熱狂の東京ドームの翌日、僕はロンドンに戻った。
ギターを積んだ車を運転しスタジオ向かう。
アンプにプラグを差し、鳴らすギターはいつもと変わらぬ音だったけど、
ハートからつま弾く指先までの何かが変わった。
ギターが一段と愛おしく思えるのだった。


僕は毎日スタジオに通い、曲作りに励んでいる。
様々なミュージシャンとのジャムやセッションも積極的に行っている。
時にはギターを4本背中と両手に担いでセッションに向かう事もある。
ギターの弦を張り替えるのもずいぶん慣れてきた。
人のプレイにWow!と驚くのも楽しいし、誰かをWow!と驚かすのも楽しい。
日本にいる時はそんな当たり前のことを忘れかけていたような気がする。
まるでアマチュアに戻ったような気分だ。
今に見てろよ、という思いも含めて。


そしてついにモントルー・ジャズ・フェスティバルへの出演がアナウンスされた。

July 11, 2014
http://www.montreuxjazzfestival.com/en

このフェスに参加できることはミュージシャンとして大いなる名誉であると共に、プレッシャーでもある。

そしてもう一つ楽しみなのがCornbury Music Festivalだ。
大好きだった10ccやKid Creole,Simple MindsやSuzannne Vegaの名前と共に
ポスターに自分の名前が載ったのが嬉しい。

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この2つの夏フェスは自分を試す大きなチャンスだと思って、精一杯のプレイをしたい。


ロンドンにも暗黒の冬が終わり、ようやく春が来た。
桜によく似たアーモンドや、八重桜の花びらが春風に舞踊る。
青空との花々のコントラストが美しい季節だ。

日々の想いと、ロンドンの風景をまた、少しずつここに綴ってゆこうと思う。

駄文は重々承知ながらも、読んで頂ければ幸いです。

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もしもある日、君のメールボックスにローリングストーンズから

「俺たちのステージで一緒にプレイしないか?」
(The Rolling Stones have asked if you are in Tokyo and if you would want to come on stage and play a song with them one night? )

という招待状が届いたら、君はなんと言う?
そう、僕も君と同じ言葉を呟いた。

「嘘だろ...?」

しかしそれは嘘でも間違いでもなく、現実だった。
もしも君がギタリストなら、ローリンストーンズという伝説のモンスターバンドに呼ばれてギターを弾くことを想像してどう思う?
振り向けばチャーリー・ワッツがクールなビートを刻み、
右を向けばロニー・ウッドが、左を向けばキース・リチャーズがカミソリのようなギターをかき鳴らし、
そして目の前には髪を振り乱して踊りながらシャウトするミック・ジャガーがいる。
きっと想像しただけで鳥肌が立ち、天国にいるような気分になるはずだ。
僕も君と同じだ。
恐怖と恍惚の狭間で全身が痺れ、鳥肌が止まらなくなる。


2012年。
ロンドンに移り住み、初めて観たコンサートはストーンズの50周年アニバーサリーライブだった。
ロンドンで観るストーンズは英国の誇りと象徴そのもので、世界一のロックバンドであると共に高貴なジェントルマン達だった。
初日はジェフ・ベックが、2日目はエリック・クラプトンがスペシャルゲストとしてステージに登場しそれぞれの音色とフレーズを披露した。
まるでロックンロールという燃え盛る炎を暖炉に囲み、神々達が昔話に花を咲かせているような、美しい光景だった。
僕はコンサートグッズの長い列に並び、Tシャツとステッカーを買った。
翌日、ミニクーパーのトランクにステッカーを貼った。


2013年、夏。
僕と娘はハイドパークでデートをした。それは44年振りのストーンズのハイドパーク・コンサートだった。
Start me up!から軽快にスタートしたコンサート。太陽の下のロックンロールは最高だった。
ビートを抱いて踊り叫ぶ観衆を離れて、僕らは会場後方に設置された大きな観覧車に乗ることにした。
僕ら以外に乗車客はなく、係のお兄さんが気を利かせて僕らのゴンドラをてっぺんで停めてくれた。
うねるような何万もの観衆を見下ろして心地よい風を浴びながら、僕らは肩を組んでMiss Youのフレーズを口ずさんだ。
娘が「パパ、ストーンズのポスター買って」と言った。
その一言がなんだかとっても、無性に嬉しかった。その日の夕焼けと共に一生忘れないだろう。


僕はロンドンで文字通り一からのスタートを送っている。
KILL BILLのテーマ曲を知っていても僕の名前を知る人はほとんどいない。
人に会いに行き熱い想いを語り伝え、少しでも僕の存在に興味を持ってもらうしかない。
移住後、僕はロンドンで2度のコンサートを開いた。
2012年のライブは僕の音に対する気持ちの曖昧さが如実に出て、案の定あちこちのメディアから酷評を受けた。
しかし昨年11月に行ったライブは映像とのコンセプチュアルなアプローチが功を奏し、現地の音楽ファンやメディアからも絶賛された。
あの夜、ストーンズの関係者が客席にいたと聞いていたので
今回のストーンズからのオファーはあの一夜のライブの成功から繋がったものだと思う。


穏やかな小春日和の朝、僕はいつものようにステッカーを貼ったミニクーパーを運転しスタジオに向かい、曲作りをしていた。
ワールドワイドでのリリースがなかなか決まらぬ中、もがくような気持ちでギターを弾いていた最中に、関係者からのそのメールは届いた。
「誰にも内密に」とのストーンズからの言葉を守り、叫びたいような気持ちを抑えていたが家族には伝えた。
美樹さんは「あなたの奥さんであることは、本当にジェットコースターに乗っているようなものだわ!」と喜んでくれた。
娘に「パパはもの凄いバンドに招待されてギターを弾きに行くことになった」と言うと「誰?」。

「あのローリングストーンズだよ!」

「Oh my god...」

と目を丸くした後「私にもサインをもらってきてね」と微笑んだ。


そこからはまるで早回しのドキュメンタリー映画のようだった。
急いで航空券を手配し、グローブトロッターにあの時買ったベロマークのTシャツを何枚か入れ、
お気に入りのグリッター・ゴールドのテレキャスターを担いでヒースロー空港のヴァージン・アトランティックの窓口に走りこむ。
機内では興奮して一睡も出来なかった。じっとしていられず踊りだしたい気分だった。
そして僕はローリング・ストーンズに会うために、東京に帰ってきた。


「嘘だろ?」
と多くの方々が今も半信半疑でこの文を読んでいると思う。
なんでHOTEIがストーンズに?と思われても仕方ない。僕だってまだ信じられないのだから。
しかし皆さん、どうぞご寛容に「これもロックンロールのマジックなのだ」と
僕の『嘘のような幸運を』受け入れてやってほしい。
憧れのDavid Bowieや Roxy Musicに続いて、ローリング・ストーンズとの共演までも叶うなんて。


僕は世界一幸運なギタリストだ。

ありがとう。ロックの神様。

ありがとう。The Rolling Stones。

ギターと出会えてよかった。


Life is "WOW!!"


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