BEAT主義日記 the principle of beat hotei official blog

  • babylon standard
  • my space
  • hotei mobile
  • beat crazy
  • the principle of beat
The Rolling Stonesとの共演...。
そのあまりにも奇跡的かつ生々しい体験から現実に戻れぬまま英国に帰国して間もなく
Mick Jaggerの恋人のローレン・スコットさんの訃報を聞き愕然とする。
ブログにストーンズの事を書く、という気持ちにはなれなかった。

3月6日。
あの日、東京ドームの楽屋で初めて会ったMick Jaggerは溌剌としたエネルギーに満ちあふれていた。
伝説の唇を大きく開いて眩しい笑顔と共に和やかな挨拶を交わした後、
彼は突然チャック・レヴェルのエレピに合わせて目の前で腰をくねらせながら
共演曲の「Respectable」を歌いだしたのだった。
隣にいたロニー・ウッドがエアーギターでソロの場所を僕に合図する。
「次はホテイだ!」とロニーが言うと「いや、ここはキースに弾いてもらおう!」とミックが提案する。
ミックの楽屋で皆が踊りながら「Respectable!」と合唱していたことを誰が信じてくれるだろうか。

数十分後、ステージでサウンドチェックを兼ねたリハーサルが始まる。
キース・リチャードに会ったのはステージの上だった。ずっしりとした握手。深い眼差し。
アンプから突き刺さってくるギブソンの音。
佇まいからなにもかもがとてつもなく大きな存在だった。
チャーリー・ワッツは腕時計の皮のベルトを上品にはずし、軽快なジャズのビートを叩いていた。
キックを踏む足下は磨き上げられたコインローファーだった。
ミックは「Enjoy!楽しもうぜ!」僕の肩を叩いてくれた。
リハーサルでも彼はステップを止める事はなかった。

Show Time !
僕はステージの袖で彼らのショウを見せてもらった。

そしてミックに名前を呼ばれステージに向かう。

後ろにはチャーリーが。両隣りにはロニーとキースが。
そして目の前にはミック・ジャガーがいた。

ここからの話をするのはもう少し時間が経ってからにしよう。
僕のつたない文章でそれを伝えることは不可能だからだ。
5年後、10年後には言葉にできるかもしれない。
いつまでもできないかもしれない。

1901312_725429287490923_1514211861_n.jpg



600_h.jpg

熱狂の東京ドームの翌日、僕はロンドンに戻った。
ギターを積んだ車を運転しスタジオ向かう。
アンプにプラグを差し、鳴らすギターはいつもと変わらぬ音だったけど、
ハートからつま弾く指先までの何かが変わった。
ギターが一段と愛おしく思えるのだった。


僕は毎日スタジオに通い、曲作りに励んでいる。
様々なミュージシャンとのジャムやセッションも積極的に行っている。
時にはギターを4本背中と両手に担いでセッションに向かう事もある。
ギターの弦を張り替えるのもずいぶん慣れてきた。
人のプレイにWow!と驚くのも楽しいし、誰かをWow!と驚かすのも楽しい。
日本にいる時はそんな当たり前のことを忘れかけていたような気がする。
まるでアマチュアに戻ったような気分だ。
今に見てろよ、という思いも含めて。


そしてついにモントルー・ジャズ・フェスティバルへの出演がアナウンスされた。

July 11, 2014
http://www.montreuxjazzfestival.com/en

このフェスに参加できることはミュージシャンとして大いなる名誉であると共に、プレッシャーでもある。

そしてもう一つ楽しみなのがCornbury Music Festivalだ。
大好きだった10ccやKid Creole,Simple MindsやSuzannne Vegaの名前と共に
ポスターに自分の名前が載ったのが嬉しい。

Cornbury-2014-Home-Page.jpg

この2つの夏フェスは自分を試す大きなチャンスだと思って、精一杯のプレイをしたい。


ロンドンにも暗黒の冬が終わり、ようやく春が来た。
桜によく似たアーモンドや、八重桜の花びらが春風に舞踊る。
青空との花々のコントラストが美しい季節だ。

日々の想いと、ロンドンの風景をまた、少しずつここに綴ってゆこうと思う。

駄文は重々承知ながらも、読んで頂ければ幸いです。

花.JPG






もしもある日、君のメールボックスにローリングストーンズから

「俺たちのステージで一緒にプレイしないか?」
(The Rolling Stones have asked if you are in Tokyo and if you would want to come on stage and play a song with them one night? )

という招待状が届いたら、君はなんと言う?
そう、僕も君と同じ言葉を呟いた。

「嘘だろ...?」

しかしそれは嘘でも間違いでもなく、現実だった。
もしも君がギタリストなら、ローリンストーンズという伝説のモンスターバンドに呼ばれてギターを弾くことを想像してどう思う?
振り向けばチャーリー・ワッツがクールなビートを刻み、
右を向けばロニー・ウッドが、左を向けばキース・リチャーズがカミソリのようなギターをかき鳴らし、
そして目の前には髪を振り乱して踊りながらシャウトするミック・ジャガーがいる。
きっと想像しただけで鳥肌が立ち、天国にいるような気分になるはずだ。
僕も君と同じだ。
恐怖と恍惚の狭間で全身が痺れ、鳥肌が止まらなくなる。


2012年。
ロンドンに移り住み、初めて観たコンサートはストーンズの50周年アニバーサリーライブだった。
ロンドンで観るストーンズは英国の誇りと象徴そのもので、世界一のロックバンドであると共に高貴なジェントルマン達だった。
初日はジェフ・ベックが、2日目はエリック・クラプトンがスペシャルゲストとしてステージに登場しそれぞれの音色とフレーズを披露した。
まるでロックンロールという燃え盛る炎を暖炉に囲み、神々達が昔話に花を咲かせているような、美しい光景だった。
僕はコンサートグッズの長い列に並び、Tシャツとステッカーを買った。
翌日、ミニクーパーのトランクにステッカーを貼った。


2013年、夏。
僕と娘はハイドパークでデートをした。それは44年振りのストーンズのハイドパーク・コンサートだった。
Start me up!から軽快にスタートしたコンサート。太陽の下のロックンロールは最高だった。
ビートを抱いて踊り叫ぶ観衆を離れて、僕らは会場後方に設置された大きな観覧車に乗ることにした。
僕ら以外に乗車客はなく、係のお兄さんが気を利かせて僕らのゴンドラをてっぺんで停めてくれた。
うねるような何万もの観衆を見下ろして心地よい風を浴びながら、僕らは肩を組んでMiss Youのフレーズを口ずさんだ。
娘が「パパ、ストーンズのポスター買って」と言った。
その一言がなんだかとっても、無性に嬉しかった。その日の夕焼けと共に一生忘れないだろう。


僕はロンドンで文字通り一からのスタートを送っている。
KILL BILLのテーマ曲を知っていても僕の名前を知る人はほとんどいない。
人に会いに行き熱い想いを語り伝え、少しでも僕の存在に興味を持ってもらうしかない。
移住後、僕はロンドンで2度のコンサートを開いた。
2012年のライブは僕の音に対する気持ちの曖昧さが如実に出て、案の定あちこちのメディアから酷評を受けた。
しかし昨年11月に行ったライブは映像とのコンセプチュアルなアプローチが功を奏し、現地の音楽ファンやメディアからも絶賛された。
あの夜、ストーンズの関係者が客席にいたと聞いていたので
今回のストーンズからのオファーはあの一夜のライブの成功から繋がったものだと思う。


穏やかな小春日和の朝、僕はいつものようにステッカーを貼ったミニクーパーを運転しスタジオに向かい、曲作りをしていた。
ワールドワイドでのリリースがなかなか決まらぬ中、もがくような気持ちでギターを弾いていた最中に、関係者からのそのメールは届いた。
「誰にも内密に」とのストーンズからの言葉を守り、叫びたいような気持ちを抑えていたが家族には伝えた。
美樹さんは「あなたの奥さんであることは、本当にジェットコースターに乗っているようなものだわ!」と喜んでくれた。
娘に「パパはもの凄いバンドに招待されてギターを弾きに行くことになった」と言うと「誰?」。

「あのローリングストーンズだよ!」

「Oh my god...」

と目を丸くした後「私にもサインをもらってきてね」と微笑んだ。


そこからはまるで早回しのドキュメンタリー映画のようだった。
急いで航空券を手配し、グローブトロッターにあの時買ったベロマークのTシャツを何枚か入れ、
お気に入りのグリッター・ゴールドのテレキャスターを担いでヒースロー空港のヴァージン・アトランティックの窓口に走りこむ。
機内では興奮して一睡も出来なかった。じっとしていられず踊りだしたい気分だった。
そして僕はローリング・ストーンズに会うために、東京に帰ってきた。


「嘘だろ?」
と多くの方々が今も半信半疑でこの文を読んでいると思う。
なんでHOTEIがストーンズに?と思われても仕方ない。僕だってまだ信じられないのだから。
しかし皆さん、どうぞご寛容に「これもロックンロールのマジックなのだ」と
僕の『嘘のような幸運を』受け入れてやってほしい。
憧れのDavid Bowieや Roxy Musicに続いて、ローリング・ストーンズとの共演までも叶うなんて。


僕は世界一幸運なギタリストだ。

ありがとう。ロックの神様。

ありがとう。The Rolling Stones。

ギターと出会えてよかった。


Life is "WOW!!"


guitar.png

2014年1月28日

* 小渕君 in LONDON

「今年のロンドンは100年に一度の寒波がくる」
と誰かから聞き、美樹さんは長いダウンコートを購入し準備万端であったが

なんと、ぬくい。

昨年の今頃は毎朝ミニクーパーの窓ガラスの氷かきから一日が始まったことを思うと
このぬくさは意外だ。

昨年、初の渡英前日になんとパスポートの期限切れが発覚するというウルトラCを見せてくれた我が友小渕健太郎君が
UGGとパタゴニアのほとんど雪山装備のような完全防寒仕様で無事に我が家を訪れたものの
ハロッズで半袖短パンの部屋着を大量購入することになるとは予想もしなかっただろう。

コブちゃんの約2週間の滞在は、公園での凧上げ、レミゼラブル観劇、ルーリーのお散歩係、リバプールへの一人旅、サビルロウでスーツ購入、ハロッズのオイスターバーでシャンパン、美術館巡り、僕と娘との3人テニス、そしてなんと僕のローディーとしてレコーディングに参加してくれたり、最終日のディナーは宮崎名物の美味しいチキン南蛮を振る舞ってくれるなど、実に盛り沢山の毎日であった。
彼のブログではロンドン滞在記が写真と共に綴られているようだからファンの皆さんはその充実振りをすでにご存知であろう。

二人でオイスターカードいうPASMOのようなカードでバスと地下鉄を乗り継ぎ、雨が降れば一つの傘を分かち合い、セルフタイマーでパチりと記念写真を撮り、古いパブでビールとビネガー風味のポテトチップスを頬張り、英国紳士の粋な着こなしにため息をつく。
ほんのに甘いカプチーノで温まったら、また雨の街に歩き出す。

「ロンドン、いいあなぁ!」

と彼が笑うたびに、

「ロンドン、いいでしょ?」

と嬉しい僕。

我が家の3階の小さなゲストルームから見るロンドンの景色は、彼の心にどんな色彩を放っただろう。

また来てね、わが町へ。

ロンドンはいつでも君を待ってる。


kobu kite.JPG

KOBU TATE.JPG

kobu tennis.JPG

KOBU RODY.JPG

kobu camera.jpg

亡母の喪中につき新年の御挨拶は控させていただきます。

12月。
母の49日に戻れなかったので、100日法要の墓参りは必ずしたいと思い、
娘のスクールの校長先生に日本の亡き人へのセレモニーの説明をし許可をもらい、
冬休みを待たず日本に帰国した。
明くる日早起きをして東京駅から上越新幹線に乗り、生まれ故郷の高崎に向かった。
娘と二人で高崎に帰るのは初めてだ。
烏川のほとりにあるお寺さんに御挨拶に伺う。
幼少の頃、大きなうねりすら感じた烏川は想像以上に小さく、
しかしその向こうに見える山々はあの頃の光や匂いや温度や切なさを全て思い出させてくれた。
妹たちとタクシーで30分ほど離れた霊園へ。並んだ多くの墓から布袋家の墓を探す。
母が入った墓は以前とは違って愛おしく、水をかけて洗う作業も、
なんだかベッドの上の母の手をさするような気持ちに似ていた。

「お母さん、遅れてごめんね。ロンドン、ニューヨークでのライブも大成功でしたよ。
 お母さんがずっと僕の側にいて応援してくれたのがわかりましたよ。ありがとう」

隣で娘が手を合わせてじっと瞳を閉じている。
座ってもすっと伸びた背筋が頼もしい。

『母のゴール』と題した最後のブログからなかなか想いを綴る気持ちになれなかった。
確かにあの日が僕ら家族にとっての新たなスタートだった。
ロンドン、ニューヨーク公演、そして東京大阪の新たなスタイルでのライブも
僕にとって新たな自分のスタートだった。
人生はマラソンである事に間違いはないが、トライアスロン、アイアンマンを超える試練の連続。
風を心地よく感じて走るには僕はもう少し時間がかかりそうだ。

2014年。

今年の最初の決断は3年間に渡りほぼ毎日、日常の一瞬の感情や風景を呟いてきた「Twitterをやめること」。
僕にとってTwitterとはファンの皆さんや異業種の方々との交流、「おはよう」から始まり「おやすみに終わる」家族のようなふれあい、
様々な人の心もように触れる事が出来る貴重なツールであった。コンサートツアーの楽屋風景、
インタビューでは誰も訊いてくれないけど誰かに言いたかった事や、
世間一般の僕のイメージ「強面モンスター」にもズッコケでファニーで涙もろいところもあるんだよ、とか、
愛犬との散歩道に見つけた小さな花、季節の色や香り、セルフポートレイトや友人との記念写真、
文化人、知識人の皆さんの深くて切れの良いツイートや政治絡みの辛辣なツイートなど、
毎日Twitterを通じて多くのことを感じ、学び、表現してきました。

昔日記をつけていたとき「日記を書くということを毎日を退屈から解放してくれる」と言った覚えがある。
なにも起こらない日だってあるけど「今日はなにも起こらない静かな一日だった」と記すことで
ドタバタ慌ただしく物事に振り回されがちの日々の中でそれが、とても穏やかで大切な一日であったことに気づく。
Twitterは瞬間的なものだし文字数も限られているから、感覚的でもありロジカルでもある。
Retweetの文字数まで計算してしまう几帳面な自分に苦笑いしたり。

東日本大震災のときは人の命に関わるツイートも飛び交いました。
行方不明の家族や友人が無事に見つかったとの知らせを聞いた時は、やったー!と声を上げて喜んだのを覚えています。
世の中には病に苦しんでいる方々もたくさんいらっしゃる。
手術前の「これから手術室に向かいます」という不安なつぶやきに「手術がきっと上手くゆくと信じています」と返す。
僕が苦しかった時、いつも誰かに励まして頂いたことへの御礼です。
何ヶ月後に「車いすで布袋さんのライブに参加できることになりました!とのツイートを見て、
コンサート当日、ステージからの「会いたかったよ!」の一言には僕なりの想いが詰まっていました。

時には辛口のツイートやケンカ腰のものもありました。
しかし匿名のツイート相手は血気盛んな中学生かもしれないし、僕の音楽を聴いた事もない人かもしれない。
50過ぎの男が若者と言葉で小競り合いするのもみっともないし、相手を傷つけてしまうかもしれない。
自分なりに言葉を選んで対処するか、グッと言葉を飲み込んだきたつもりです。
(とは言え自分も人間ですから、たまに冷たい対応があったとすればごめんなさいね。)
BOØWY時代から始まって、20数年に渡っての長きファンの方々もいるでしょう。
「ロックなイメージ」とはほど遠い僕のつぶやきに苛立つ方も多かったと思いますが、
僕らはファニーでシニカルなジョークが好きで、もしあの頃Twitterがあったら、きっとあちこち炎上だらけだったと思います(笑)。
世は流れ。その時々の主流を捉えつつも、我が道を行くのが私流。
とは言え軽率で外れた呟きにあったとしたら、どうぞご容赦くださいね。
20数万人ものフォロワーがいれば毎日どなたかがお誕生日や記念日を迎えられるわけで、
皆さんにお祝いのコメントを求められても全部に返すのは不可能でした。
あげたりあげなかったりで不公平にならないようにいっそ全部「無理だ!」とお断りすればいいのに、
ついついおめでとう!と言ってしまうのが僕の弱いところ。
でも自分も一言祝ってもらえたら嬉しいものね。
たくさんのツイートに対してお応えできなくてごめんなさいね。

日記は時間の流れを、そしてTwitterは瞬間を見つめるもの。
もちろん一瞬が積み重なって時は流れるのですが、一瞬に支配されてしまうことにもなりかねない。
SNS依存症という言葉がありますが、僕もいつの間にか日常のすべてを140文字に切り取る癖がついてしまった。
ストーリーよりもディテールにフォーカスがいってしまう。
気がつけば目の前の風景をツイートしたくなる。
これは立派な依存症なのかもしれません。

2014年は僕にとって勝負の年。
昨年の11月9日のロンドン公演は、僕の夢に対しての可能性を示す事ができた重要なコンサートでした。
ようやく目の前の扉の先に光が見えた瞬間でした。
ここからが正念場。蒲伏前進よろしく、歯を食いしばって一歩一歩進まねば未来はありません。
ぐうたら癖を直して、本気で自分と向き合い、必ず夢を叶えたいと思います。

Twitter越しの誰かにではなく、これからはもっと自分自身に呟いていきたい。

「どうだい?調子は」
「もっと本気をみせろよ」
「目の前の風景を音にしてみたら?」
「きっと上手くゆくと信じよう」
「ほら、今日も口角をあげていこうぜ!」

長い間僕の呟きを楽しみにしてくれた皆さん、ありがとうございました。
とても有意義な暖かいひとときでした。
心はこのままずっと繋がっていますからね!

今後は原点に戻って、このブログで心模様をお伝えしようと思います。

BC会員の皆さんにはRADIO HOTEIや動画メッセージをより充実させたいきたいと思います。

ブログアップやその他の活動のインフォメーションは公式アカウントの

Twitter
@HOTEI_STAFF
@HoteiOfficial

Facebook
Tomoyasu Hotei (World)
https://www.facebook.com/HOTEI.world

からお伝えするようにしますので、こちらをフォローしておいてくださいね。

2014年が皆さんにとって、健やかで実りある充実した一年でありますように。

本年もよろしくお願いします。


All the best.

Hotei

blogpics.jpg

Photo by 山本倫子









2013年9月18日

* 母のゴール

「お兄ちゃん!お母さんの心臓が止まっちゃった!」

妹からの悲鳴のような声の電話をロンドンで受けたのは2013年1月23日のことだった。

「今すぐ飛んで行くから待ってて!」
パスポートとブラックスーツを持ってヒースロー空港に向かった。
飛び乗った東京行き最終便では一睡もする事が出来なかった。
母はこのまま死んでしまうのか?もう生きている母には会えないのか?
つい数日前電話で元気そうな声を聞いたばかりなのに。
涙が溢れて止まらなかった。心が震えて止まらなかった。
あの時ほどロンドンと東京が遠いと感じたのことはない。

成田到着と同時にマネージャーの携帯を鳴らす。
「お帰りなさい!お待ちしていました!」
マネージャーの声のトーンから母はまだ生きている事を知りホッとする。
無事を祈りながら空港から病院に直行。
ICU集中治療室に向かう。
ロビーで泣きじゃくる妹を抱きしめる。
そして母のいる部屋へ。

母は死んではいなかった。
しかし。

1月23日未明、母から妹へ「心臓の様子がおかしいの」との電話があり、すぐ救急車を呼ぶ。
救急車が到着した時には母の心臓は止まっていた。
病院に運ばれるまでおそらく30分以上、心肺は停止していたであろうとのこと。
妹と二人、医師からの説明を受ける。
長時間心肺停止後の低酸素脳症。
脳幹は生きているものの脳の大部分にに重いダメージを受けた状態であり、
30分も心肺停止したにも関わらず命があること自体が奇跡であるとのこと。
しかし今も危険な状態にあり予断は許さない。肺炎などが併発すれば容態が急変する可能性もある。
脳のレントゲンに写る広範囲に渡る黒い影を見て、僕らの絶望の涙を流した。

医師に問う。

「先生、母は"脳死"という状態ですか?」
「脳幹は生きているので"植物状態"と申し上げられます」
「いつまでこの状態が続くのですか?」
「いつまでとお答えするのは難しい。明日かもしれないし、数ヶ月後かもしれない」
「母に苦痛はありますか?」
「いいえ、多分痛みを感じる神経伝達は行われていないと思います」
「回復する見込みは?」
「残念ながら御回復は難しいと思います」

どの質問に対しても母の未来を期待させる答えはなく、僕らは震えとともに、ただため息をつくしかなかった。

「御家族はこの先、延命治療を御希望なさいますか?」

医師からの問いに僕らは戸惑った。
一秒でも長く生きいてほしいとの気持ちと、これ以上母の身体に強いショックや負担をかけたくない、との思いが交錯する。
母ならなんと答えるだろう。
「そんなことはやめて。みんなにこれ以上心配や迷惑をかけたくないから」
きっとそう答えるに違いないと、僕ら兄妹は判っていた。
母の尊厳を守り身体的苦痛を軽減しながらも延命治療はしない。
ターミナルケアと呼ばれる終末期医療および看護の日々を、僕らは選択した。

母の耳元に語りかける。
「お母さん、聞こえますか?寅泰です。ロンドンから帰ってきました。安心してくださいね」
反応はない。
昏睡の中で静かな脈拍だけが生命を伝えている。
「お母さん、聞こえますか?寅泰です...」

母は無言の人となった。

母の声はもう聞けない、と思うと涙が止まらなかった。

僕のロンドンと東京の往復の日々がスタートした。


2月1日は僕の51歳の誕生日だった。
病室の母に花束を持って報告に行った。
「お母さん、今日は51年前、あなたが"お母さんになった日"ですよ。僕を産んでくれてありがとうね」
彼女は以前ポツリとこう語ってくれたことがある。
「私の人生で一番幸せだったのはあなた達を育てていた時間だったわ」
娘を持つ一人の父親として、母のその言葉が今、痛いほどわかる。
高校を中退したり、突然家を飛び出し仲間とアパート暮らしを始めたり、
プロのミュージシャンを夢見て上京、何度も心配や迷惑をかけてきたけれど、
僕は最後に母の自慢の息子でいられただろうか?
「以前入院なさった時"私の息子はああ見えて、とっても優しい心をもった人なんですよ"と皆におっしゃってましたよ」
と看護師さんから伺った時は嬉しかった。「"ああ見えて"は余分だろう」と心で呟きながら。
昨年の50歳記念の"さいたまスーパーアリーナ"公演には車いすで参加してくれた。
「自分の息子が50歳なんて!信じられないわ」と笑っていたのを思い出す。
多くの人々に祝福された息子を見て、母は嬉しそうだった。

そんな母も2月6日、病室で80歳の誕生日を迎えた。
その日は僕の新作「COME RAIN COME SHINE」の発売日であった。
「お母さん、おめでとう!」のメッセージを添えたCDを枕元に届けた。
ロンドンで撮影したジャケットを指差し
「ロンドンの空はね、いつもこんな風に晴れたり曇ったりを繰り返しているんだ。
永遠に続く雨はなし。雨の後の眩しいばかりの青空を目上げると、人生もまるでこの空のようだなと思えるんだ」
病室に小さく響く僕のロックンロール。
"Never Say Goodbye"の歌詞が切ない。
  
  逢いたくても逢えない日も 心と心は
  深い絆で繋がっているから

  Never say goodbye いつか必ず
  また逢える 信じているよ
  花のような眼差しをありがとう


母が旅立つ日まで、僕の心が晴れる日はなかった。


ロンドンに移り住んで約5ヶ月。
ようやく生活ペースもつかめ始めた頃だったが、僕は可能な限り母の側に居ようと決めた。
東京では「あれ?布袋さん、また帰ってきたの?」などと声をかけられ、
事情を告げることもできず少しバツの悪い思いをしたこともあったが、
こんな時、母親との最後の時間を一秒でも長く一緒に過ごしたいと思う気持ちは誰もが一緒だろう。
そんな中ツアーのリハーサルが始まった。

メンバーには母が入院していることは伝えたが、深刻な状態だとは伝えずにいた。
とある日、リハーサル最中にマネージャーがスタジオに飛び込んできて
「病院から電話です!すぐ向かってください!」と深刻な表情で言った。
その夜母は不整脈と長い無呼吸を繰り返す極めて危険な状態であった。
「今夜が峠だと思います。御家族もその時を覚悟なさってください」と医師からの重い言葉。
妹の家族と僕は徹夜で母の容態を見守った。
奇跡的に母は峠を越え、緊迫した状態から脱する事が出来た。
次の日のスタジオでバンドやスタッフに母の容態を告げた。
もしツアー中に母が亡くなってもコンサートは中止しない。それは母の本意ではないはずだから。
そのかわりツアーの移動行程をできるだけタイトにして最終便でも東京に戻り、母のそばに居させてほしい、
とお願いをした。

『Rock'n Roll Revolution Tour』は「熱狂と静寂の繰り返し」だった。
楽屋の母の写真に向かって「行ってくるよ。待っているんだよ」と手を合わせ祈る。
開演時間が近づくと、客席からの布袋コールが楽屋まで聞えてくる。
それぞれの思いを胸に抱いて集まってくれたオーディエンスの元に、僕は帰る。
幕が上がり光がうねり、僕は音となる。
母の日のライブの"Fly into your dream"は母に捧げた。
母に届け!と全身全霊、魂で歌い奏でた。
観客には汗にまみれて涙は見えなかっただろう。
熱狂的な布袋コールを背にステージを降りる。
メンバーと「今日も最高だったよ!」と乾杯を交わす。
楽屋の扉を締め、母の写真に手を合わせる。
「ただいま。今日も最高だったよ」
と報告すると、母の笑顔が空気中に一瞬広がるのだった。
コンサート会場から車や新幹線に飛び乗り東京へ。
興奮冷めやらぬまま向かうのは母の待つ
世界で一番静かな部屋だった。

母の僕に対する口癖は「大丈夫?」「ちゃんと食べてる?」「ありがとう」の3つだった。
群馬を飛び出し4畳半の独り暮らしを始めた頃、小銭すらなく公衆電話に落ちていく10円玉を数えながら聞く母の声はいつも
「大丈夫?ちゃんと食べてる?」だった。
ガリガリの自称"夢喰い少年"は母の送ってくれた米を炊き、マヨネーズをかけて食べていた。
ライブハウスからスタートし、夢叶った初めての武道館公演は思い出深い。バンドをやりはじめたときは
「プロの世界で勝負するのは生易しいものではない。あきらめるなら早めにあきらめなさい」
と言っていた母が、終演後の楽屋では満面の笑顔で「あなたならやると信じていたわ!」と言い放った。
後にスタッフに聞くと、会場のファンのみんなから「ホテイー!」と名前が呼ばれるたびに、その方向に向いて大声で
「ありがとうございます!」「ありがとうございます!」と応えていたらしい。
デビューから30年。多くの人に支えられ今がある。
母の応援も僕をいつも支えてくれた。

母が倒れる4日前、1月19日の電話もそうだった。
「そちらは大丈夫?ちゃんと食べてる?」
「ちゃんと食べてるどころか、いよいよ僕もカロリーやコレステロールや塩分など気にして食べなければならない年頃だよ」
家族は皆元気でやっていること。ロンドンの冬は酷しく毎朝車の窓の氷かきをやっていること。
冷たい空気は群馬の冬空を思い出すよ。
もうすぐツアーでまた帰るからね。
また観にきてね。
孫たちを連れて、みんなで美味しいもの食べにいこうね。

そんな柔らかな会話の終わりの
「ありがとう。元気でね」
が母の最後の声となってしまった。

次に母と会ったらあれもしてあげたい。これもしてあげよう。優しく笑顔で色々な話をしたい。
温泉にも連れて行ってあげたい。大好きなお寿司も食べにいこう。たまには抱きしめてあげよう。などなど、など。
母への想いはいつも溢れんばかりなのに、会った瞬間に投げやりな態度や、気持ちとは裏腹な冷たい受け答えなど、
思い起こせば母に謝りたい事ばかり。
妹もまた「あの時なぜあんなことお母さんに言っちゃったんだろう」「なんであんな態度で接しちゃったんだろう」
「お母さんはきっととっても淋しくて悲しかったに違いない」と後悔ばかりがあとを絶たない。
しかし言葉で意思表示ができない母に「ごめんね」ばかりを繰り返すのはやめよう。
それを聞いているお母さんはきっと「私こそ、ごめんね」と辛い気持ちになるはずだ。
「ごめんね」の変わりに沢山の「ありがとう」を伝えよう、と皆で約束をした。
妹は痛々しいほど献身的に母のそばで、母への恩返しを努めてくれた。
一生分のありがとうを、彼女は伝えらえたと思う。
母は嬉しかったと思う。

ツアーが終わりひとたびロンドンに帰るも、心は母の元にあった。
真夜中に電話が鳴るたびに飛び起き、母の写真の前で祈った。
楽しい時間の後は必ず辛い思いにかられて胸が苦しかった。
僕が遠い英国の地に移り住んだことで、さぞかし淋しい思いをさせてしまっただろう、と。
しかし後に妹から聞いた話で僕の心は少し救われた。
僕が小学生の頃一度、留学話が持ち上がったことがある。
海外生活への憧れと、友達との別れで揺れる僕の気持ちを察し、母は友達とのお別れ会まで準備してくれたのだが
おそらく父の仕事の事情によってか、結局留学話は実現には及ばなかった。
数十年後、僕が英国へ移り住むと決めた時母は妹に
「あの時行かせることができなかった外国へ、寅泰が自分の意思で向かえて本当によかった」
と言ってくれたそうだ。

無言でも伝わる母の人柄からか、病院でもその後の施設でも、先生や看護師、介護士さんたちには本当に暖かく接していただいた。
「布袋さん!今日もよろしくお願いしますね」と声をかけ、身の回りの世話をしていただく。
親戚も遠くは北海道からわざわざお見舞いに寄ってくれた。
筋肉は固縮しないように、手や足、肩をマッサージしながら皆で母の思い出話をするのだった。
本人が聞いたら怒りだしそうなジョークも交えて、母の部屋は笑い声に包まれる時もあった。
当初は1週間ももたないかと思われたのに、母の命は奇跡的にも一日一日、時を重ねていった。
病室から車椅子にのって春の桜をみることができた。
暑い夏には蝉の声を聞く事もできた。
そして蝉の音が秋の虫の声に入れかわる頃。
母の容態が悪化した。
 
「下顎呼吸が始まっており早ければ数時間、もっても日付を越える事は難しいだろう」
との医師からの通告に、家族全員が集まった。
「ありがとう、お母さん。よく頑張ったね。みんなここに居るよ。」
と皆で手を握りながら、夜通し語りかけ続けた。
みんなの思いが届いたか母は医師に「奇跡としかいいようがありません」と言わせるほど頑張った。
それから1週間も、消え入りそうな細い息で、頑張った。

妹の疲労がピークを迎え、その夜、僕は母の部屋に泊まった。
そして母と沢山おしゃべりをした。
応えはなくとも母には僕の声が聞えているのが判る。
PCから僕のギターをたくさん聴かせてあげた。

ミラーボール、好きだったよね?

一緒にエディット・ピアフの"バラ色の人生を"聴いた。

お母さん、幸せだった?
素敵な恋をしたんだよね。
天国に行ったら誰に会いたい?
もしお父さんに会ったら、許してあげてね。
あの日もし旅立っていたら、僕はロンドンに行った事を一生後悔しただろう。
ありがとうね。
こんなに沢山の時間を僕らに与えてくれて。
ありがとうね。
僕を生んでくれて。
これからもっと頑張って夢を叶えて親孝行するからね。
ずっと応援していてください。

母の額にキスをした。
母にキスをするのはいつ振りなんだろう。
「あらやだ」とちょっと恥ずかしそうな顔をしたように見えた。

窓の外が明るくなりシャワーを浴びに戻る。
夕方からまた家族全員が集まった。
無呼吸の症状はなくなり血圧などの数値は悪くないが、呼吸がとても浅い。
無重力の世界に咲く花のようだ。
そして突然その時は来た。

「ばあば、ありがとう!」
3人の孫達が声を合わせてエールを送っている。

「お母さん、ありがとう!」
僕と妹はそれぞれ母の手を握っている。
母の手を通じて、僕らは一つになっている。

我々は母と手を繋いで、手を取り合って、母の人生のゴールに向かって一緒に歩いている。

その先には祝福の光が待っている。

頑張れ。頑張れ。ゆっくりでいいんだよ。
頑張れ。頑張れ。一人じゃないんだよ。

みんなのエールに包まれて、9月2日、23時43分。

母は旅立った。


母は美しい人だった。

カサブランカのように気品に溢れ、紫陽花のように優しく、向日葵のように眩しい人だった。

棺の中に入っても、その美しさは変わらなかかった。



母は今ここロンドンに居る。

真夜中のベルはもう、鳴らない。

母にパスポートはもういらない。
世界を一緒に旅しよう。
そしてまた日本に戻ったら、皆で暮らした麻布有栖川の公園のベンチに座り
そっと紫陽花の色に酔いしれよう。


母を愛してくださったみなさま、ありがとうございました。

葬儀にかけつけてくださったみなさま、ありがとうございました。

そして僕らを心配してくださったみなさま、ありがとう。

母の愛に包まれて、僕らは今も幸せです。

お母さん、ありがとう。



mother.jpg

最愛の母が天国に旅立ちました。

母を愛してくださった皆様に 心から感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。

約6年ぶりの書籍『幸せの女神は勇者に味方する 人生の新しい扉を開く50の提言』が、
いよいよ2月27日に幻冬舎より発売になります。

壁にぶつかって思い悩んだとき、
自分自身に負けそうになったとき、
気分を一新して自分らしく颯爽と歩き出すために。

この本はTwitterやFacebookを通じて繋がった沢山のフォロワーや友達の皆さんとのふれあいの中
それぞれが、それぞれの日常を多くの喜びと共に
時には悩み苦しみながらも自分探しの旅を繰り返している姿に触れ
浅い経験ながらも僕の知っている「心のスイッチを切り替えるいくつかの方法」を
「夢を叶えるための50のヒント」というコンセプトのもと
皆さんにお教えするために構成の神館和典さんのお力を借りて書き上げたものです。

Chapter 1 夢が人生を作る
Chapter 2 しなやかな心を育てる
Chapter 3 努力は心を喜ばせる
Chapter 4 豊かな人生のために


という4つのChapterごとに

今日という日をスタートに
夢は定期検診しよう
撤退するのも勇気
ハングリー精神を持つ
仲間とは見つめ合わず同じ方向を見よう
弱点がオリジナリティーを創る
「TO DO リスト」を作ろう
仕事をエンタティンしよう
心のギアを下げることも大事
ワイルドなジェントルマンを目指せ


など、いくつかの項目別に、僕の失敗談や思い出話も織り交ぜて
一日のスタートを前向きな気持ちに変換する僕なりのコツを書き連ねました。

パッと開いたページから読める軽快な一冊です。
ポケットに、鞄に入れて、是非皆さんの毎日のお供にしてもらいたいと思います。
そして読んだ後に、皆さんからの「コツ」も是非伝授願いたいな、と思っています。


book.JPG


そしていよいよ3月15日から新作「Come Rain Come Shine」を引っさげての
全国ツアーが始まります!
30周年アニバーサリーツアーでは懐かしい曲も沢山プレイさせてもらいましたが
今回は新作を中心に、常に革新的であり続けたいという信念を込めた過去の楽曲や、
初めてステージで披露する曲も数曲セットリストに加え、皆さんに楽しんで頂きたいと思います。

バンドのメンバーは

井上 富雄 (Bass)
岸 利至  (Programming)
奥野 真哉 (Keyboard)
ところにより野崎 泰弘(Keybord)
天気予報かっ!

そして今回は前回の中村達也くんに代わり
Zachary Alfordがドラマーとして参加してくれます。http://www.zackalford.com
ザックはデヴィッド・ボウイの10年振りのアルバム「The New Day」にドラマーとして全面参加
まさにノリにノっている状態での参加です。
彼のソリッドでしなやかなビートと、僕のカッティングが今回のツアーの見所とも言えるでしょう。
最新の重厚なHOTEI BANDのサウンドををどうぞお楽しみに!

日程は以下の通り。

3月15日(金)       千葉 市川市文化会館 大ホール THANK YOU SOLD OUT !
3月17日(日)       兵庫 神戸国際会館 こくさいホール
3月20日(水・祝)  静岡 静岡市民文化会館 大ホール
3月21日(木)      大阪 岸和田市立浪切ホール
3月23日(土)       香川 サンポートホール高松
3月30日(土)       愛知 愛知県芸術劇場 大ホール THANK YOU SOLD OUT !
4月6日(土)         石川 本多の森ホール
4月7日(日)         新潟 長岡市立劇場 
4月13日(土)       青森 リンクステーションホール青森(青森市文化会館) 大ホール
4月14日(日)       岩手 岩手県民会館 大ホール
4月18日(木)       鹿児島 宝山ホール
4月19日(金)       熊本 市民会館崇城大学ホール(熊本市民会館)
4月21日(日)       福岡 福岡サンパレス
4月25日(木)       三重 四日市市文化会館 第一ホール
4月27日(土)       東京 NHKホール
4月28日(日)       東京 NHKホール
5月1日(水)         福島 いわき芸術文化交流館 アリオス
5月3日(金・祝)    群馬 ベイシア文化ホール(群馬県民会館) 大ホール
5月5日(日)         宮城 仙台サンプラザホール
5月6日(月・祝)    東京 オリンパスホール八王子
5月11日(土)       広島 上野学園ホール
5月12日(日)       神奈川 神奈川県民ホール 大ホール
5月18日(土)       大阪 フェスティバルホール
5月19日(日)       大阪 フェスティバルホール


どうぞ皆さん、お見逃しなく!

まだまだ寒い日が続きますね。

御身体をれぐれも御自愛くださいね。

皆さんと会える日を心から楽しみにしています。






2013年2月21日

* 運命の橋 

1985年

僕が初めてロンドンを訪れたのは、そう。今から28年前のことだ。

BOØWYのサード・アルバム『BOØWY』のベルリンでのレコーディングを終え日本に戻る前に
ロンドンの伝説のライブハウス「Marqee Club」でライブを行う為に数日間滞在した。
バンドはGreen Parkにある「Half Moon Hotel」という洒落た名前のホテルに宿泊した。
スーツケースを開けば寝場所がなくなるくらい小さな部屋に、僕はベースの松っちゃんと同じ部屋に泊まったと思う。
ホテルの近くには当時最先端のファッション好きに知られる「クローラ」というグラマラスなブティックがあった。
飾られているスーツやコートは僕らには到底手のでない、一桁も二桁も違う値札がついていた。
少年時代からロンドンの音楽やファッションに首ったけの僕にとって、ロンドンはまさに憧れの街。
限られた滞在時間でどれだけ多くのブティックやレコードショップを回れるか。
文字通り足が棒になるほど、歩いて歩いて、また歩いた。
キングス・ロードの「BOY」や「ジョンソンズ」、ケンジントン・マーケットやカムデン・マーケットでは古着の革ジャンを探した。
ハイパー・ハイパーという最先端のショップには、パンキッシュでアバンギャルドなぶっ飛んだデザインの服が売っていたっけ。
SOHOでは日本では手に入らないレアなパンク/ニューウェイヴのレコードを買いあさった。
「クレイジーカラー」という絵の具のようなヘアカラーを何色も手に入れた。
当時は今のような優れた脱色剤はなく、僕はいつもブリーチ剤をシャンプーのように塗りたくって
時にはそのまま外出したり、酔いつぶれて寝たりしていた。
今もこうして少しでも髪に毛が残っているのは奇跡的と言うべきだろう。
英語は喋れない。バスも地下鉄も判らないどころか自分たちの居場所すら判らない。
時として無知は武器となり「開き直った者の勝ち」の精神で、果敢に外人にしゃべりかけていた。
ラバーソウルの底がすり減るほど歩いたものだ。

ベルリンでのレコーディングからカメラマンのハービー山口さんが僕らに密着し撮影をしてくれていた。
ハービーは一時期ロンドンに暮らし、学び、その穏やかな視線をファインダーに向け、
ロンドンの美しき風景やパンク~ニューウェイヴ時代の象徴的なミュージシャン達の素顔や横顔、
そして人々の憂い溢れた表情を写し取り、日本でも熱い脚光を浴び始めていた。
壁崩壊前のベルリンの街はどこに立っても重厚な歴史の影を纏い、重苦しい空気に溢れていた。
僕の大好きなDavid Bowieのベルリン三部作「LOW」「HEROES」「Lodger」が生まれた街。
僕らはデカダンスの空気を胸いっぱいに吸った。
凍てつく街角で撮影した数々の写真はとても思い出深い。

そしてロンドンに場所を移し、僕らはさらに撮影を続けた。
ハービーのおすすめのロケーションを四人は小さなバスに乗り巡った。
どの場所もほんの数分だけの撮影で、僕らは自分たちが何処にいるかなんて全然判らぬまま
ハービーのシャッター音を楽しんでいた。

ロンドンにいる。

それだけで嬉しかった。



2012年。

僕は世界への夢をあきらめきれず、ロンドンに移り住んだ。

若し頃は誰もが刺激物が大好きで、僕も例に漏れずロンドンの尖ったところに惹かれたものだ。
最先端と呼ばれるものすべてを求め、夜な夜なクラブを巡ったり、ちょっとヤバそうな一角に足を踏み入れたり、
徹夜なんて日常茶飯事。二日酔いは元気な証拠。
そんなデタラメな時期もあったものだ。
一所に留まることなどできず、いつも明日に向かって走っていた。
だから、今自分がいる場所すら意識をしていなかったし、景色はいつも風の中にあった。

しかし今は違う。
人間、誰もが年をとることには逆らえない。
アンチエイジングなどというその場しのぎのようなことはせず、
いかに自分らしく熟成(エイジング)を重ねるかが大切だと思っている。
今はクラブには行かない。夜中を過ぎれば眠くなってしまうからだ。
朝が早いのだから仕方がない。
そのかわり、朝はなかなか忙しい。
家族と一緒に目を覚ましベッドから出て、リビングのカーテンを開き、愛犬に水と朝食を与える。
時には家族のためにキッチンに立ち、グレープフルーツやオレンジでフレッシュなジュースを絞り、
卵料理とベジタブルにこんがり焼けたトーストを添え、豆を挽き香り立つ美味しいコーヒーを入れる。
娘を学校に送り、ルーリーとジョギングに出かけ、戻れば車の荷台にゴムのチューブを巻き付け
青空ジムでトレーニングをする。(青空の確率はかなり低いのだが...)
メールチェックや、東京とのスカイプ会議をしたりしていると、あっという間にランチタイムだ。
近くのカフェにベーグルでも食べに行こう、とまた街に歩き出す。
近所の庭の木々や草花の変化を眺めながら、季節の風の匂いを嗅ぎ、
身体のパーツに意識を巡らせながら歩く。
踵、足首、ふくらはぎ、太もも、腰、背骨、肩甲骨、肩、腕、手首、指先、首、目、頭...。
意識が体中に行き渡ることを感じながら空を見上げると、それがたとえ嵐の前触れのような暗い空であろうと、
幸福を感じられるものだ。

先日いつものように家の近くのテムスの川沿いをヘッドフォンで新作の「嵐が丘」を聴きながら歩いていた。
前日の雨で水かさが増していた川には、統制のとれたリズムで力強くボートを漕ぐ少年達の姿があった。
渡り鳥の群れが空に大きな五線譜のような美しいフォルムを描いていた。
気温は低かったが、春はそう遠くない、と思わせるような柔らかい空気が漂っていた。

ふと目線を前に戻した瞬間、僕は目の前の風景に釘付けになった。

心臓がドキドキして、胸が苦しくなった。

まるで呪文によって時の扉が開くかのように、その風景はすべての記憶を呼び覚ました。

その場の写真を撮って駆け足で家に戻り、もう一枚の写真を探した。

二枚の写真を並べた瞬間、追憶のパズルはカシャリと音を立てて完成したのだった。

1985.JPG

photo2013.jpgのサムネール画像
やはりそうだった。

それはあの日、バンドのメンバーと撮影の為に一瞬だけ訪れた、思い出の場所だったのだ。

これを奇跡と、運命と呼ばず、なんと呼ぼう。

この時、僕らは川の向こうに何を見ていたのだろう。
きっと同じ未来を見つめていたに違いない
その視線がまた一つになる日はもう来ないかもしれない。

「嵐が丘」という曲は、BOØWYの頃の曲作りの感覚を思い出しながらギター一本で作った曲だ。


さらば愛しき日々よ 心燃やした恋よ
語り明かした友よ 想い出に背を向けて
果てなき明日を行こう胸の彼方に浮かぶ
輝く虹を目指し もう一度旅立とう

さらば愛しき日々よ 心燃やした恋よ
語り明かした友よ 想い出に背を向けて..
.


ロンドンはやはり、約束の地だったに違いない。

僕はこの橋を28年かけて渡ったのかもしれない。

輝く虹は、この空の向こうにきっとある。


僕はそう信じている。














 最新作「COME RAIN COME SHINE」についてお話ししましょう。
 オリジナル・アルバムとしては「ギタリズムV」から約4年振りとなる本作は、アーチスト活動30周年アニバーサリー・イヤーを通して感じた様々な思いと共に綴った「布袋寅泰第二章」のスタートにふさわしい、最新にして最高の一枚に仕上がったと自負しています。
 30周年では、僕のギタリスト、そしてソングライターとしての原点であるBOØWY、そして復興支援ライブで久しぶりに同じステージに上がった吉川くんとのCOMPLEX、ソロ・デビューアルバムのギタリズムから試行錯誤の繰り返しを経て現在のスタイルに至るまでの過程を、ギタープレイを通じて再確認することができました。それはこの「COME RAIN  COME SHINE」に強く反映されていると思います。
 今まで意識的に封印していたBOØWYの頃のような曲作りやサウンドアプローチなど、今改めて自然に受け入れることが出来たのも、30年後という長い年月を経たからこその原点回帰と言えるかもしれません。
 インタビューではなかなかお話しする機会のない各曲に込めた想いや、ギタープレイ、サウンド、そしてレコーディング裏話などを書き連ねたいと思います。
 2月6日にリリースされるアルバムを想像しながら、そしてお手元に届いた時には、曲を聴きながら楽しんでもらえますように。
 
 それでは一曲目から御紹介しましょう。

1)Cutting Edge (作詞/いしわたり淳治)

 この曲を一曲目選ぶには少し勇気が必要でした。というのも今作にはキャッチーなイントロやサビ、ワクワクするようなビートなどいわゆる万人ウケしそうな曲もたくさんある中、いきなり飛び出す難解な歌詞のリフレイン、抑揚をおさえたワンコード進行とリズムなど、言ってみれば少しマニアックな曲であえて選んだ理由は一つ。僕のギタースタイルを象徴するシャープな切れ味のカッティングからスタートしたい。これは前回のツアー中に心に決めていました。BOØWYの「BAD FEELING」やCOMPLEXの「二人のAnother Twilight」などの乾いたファインキーなカッティング・リフは、ギタリスト布袋の最大の特徴として皆さんの記憶に残っていることと思います。僕の職業はギタリスト。しかしテクニック的には決して上手いギタリストではない。かといって音に味があるタイプとも言い難い。オールド・スタイルの古き良き時代を感じさせるギタリストでもないし、評価しづらいギタリストだと思います。しかし独自のスタイルを持っているギタリストということだけは、皆さんに伝わっているのではないかと思っています。
 14歳の時マーク・ボランのポスターを見て「カッコイイ!」という理由だけでギターを選び、今もそれだけの理由でギターを弾いています。ギターはカッコいいもの。それぞれの理由や解釈は違えど、これは万国共通どころか人類共通のものです!チューニングの仕方も知らなかった僕が初めて弾いたのは誰かの曲ではなく『Beat』でした。一番太い6弦を不器用に握ったピックで「ビン、ビン、ビン!」とリズムを刻んだとき、僕の心は踊りだしました。その後はビートルズやストーンズに始まって、ハードロックやプログレなど様々なレコードを聴きながらも、僕はいつもその音楽の中の踊りだしたくなるようなギターの音を探していました。高校生で黒人音楽と出会い、レイ・パーカーJr.やワー・ワー・ワトソン他、黒人のファンクギタリストに夢中になり、僕の理想のギタリスト像は「マーク・ボランのようなグラムな衣装で、黒人のようなファンキーなカッティングを、クラフトワークのビートをバックに踊りながら弾くギタリスト」という何とも奇妙なものでした!
 この曲の使用ギターはおなじみの白黒幾何学模様の「HOTEIモデル」、ソロはサスティニアック搭載モデル。アンプは20年前にロンドンでQUEENのブライアン・メイのギターテックの方を通じて購入したマッチレス。今回このアンプは里帰りを果たしました。イントロからフィルインして躍動的なリズムが絡むところ、そしてリイントロ1分34秒の刀を振りかざすようなサンプル音が気に入っています。
 ゲスト参加してくれたROXY MUSICのアンディ・マッケイ氏のサックス・ソロも聞き所。ジャズではない、ブルーズでもない、独特のアートな香り、そしてリリカルな旋律。そしてそこに絡むバッキングのワウを踏みながらのカッティングもお聞き逃しなく。
 ソリッドでダイナミックなドラムは山木秀夫さん。ベースはアルバム全曲井上富雄くんが弾いてくれています。プログラミングは岸利至くん、福富幸宏さんが担当してくれました。
 「言霊 Lives In My Words 愛を伝えに行こう 胸に仕舞い込んだ想いは叶うはずさ」いしわたりくんが紡いだ印象的なサビのフレーズが皆さんに何を伝えようとしたのか、謎解きをするように言葉とビートの絡み合いを楽しんでください。

2)嵐が丘(作詞/森雪之丞)

 「夢を探しただけ 彷徨ううちに旅人と呼ばれていた そしてたどり着いたこの崖の上 どこにも道はない」森雪之丞さんからこの詞が届いた瞬間、特徴的なギターのアルペジオが風の音に変わった。イギリスの女流作家エミリー・ブロンテの長編小説のタイトルで知られる「嵐が丘」。人生は雨の日、晴れの日ばかりではない。時には嵐のような吹き飛ばされてしまいそうなほど激しい風に打たれる時もある。それでも風に向かって歩みを止めず前に進んでゆこう、というメッセージを力強く、そして繊細に森さんは描いてくれました。
 ギターには様々な楽しみ方がありますが、このアルペジオもまたハマると奥深いものです。POLICEの「見つめていたい」のように、一度聴いたら耳から離れないフレーズはアルペジオならではのもの。80~90年代のNEW WAVEバンドには印象的なアルペジオのヒット曲がたくさんありました。僕はこの頃の音楽に大きな影響を受けています。今回のアルバムはノンコンセプトでありながらも、どこかあの頃のNEW WAVEサウンドが基調になっているかもしれません。
 この曲も基本は「HOTEIモデル」、ソロはフェンダーのJEFF BECKモデルです。曲作りの段階でどのギターを選ぶかでアルバムのカラーは決まります。今回は自分の持ち味を最大限に生かしたいという理由から、ほとんどの曲を「HOTEIモデル」で作りました。このギターはテレキャスターの形をしていますが、非常に独特なサウンドを持っています。ピックアップは倍音成分を増幅する特性を持ち、カッティングやアルペジオには最適です。あまり歪ませ過ぎず、一音一音の粒を際立たせるように弾くのがコツ。
 この曲を作った時の気持ちはBOØWYのラストアルバム「サイコパス」を作っていた時の気持ちにとてもよく似ていました。なぜだろう?と自分でも思うのですが、30周年や渡英を含め、今までの自分を断ち切って、たとえそれが道なき荒野であろうとも夢に向かって進むしかない、という決意からでしょうか。
 サビの「さらば愛しき日々よ 心燃やした恋よ 語り明かした友よ 思い出に背を向けて」の部分はレコーディングで歌っていて胸を熱くするフレーズでした。森さんは作詞の時点で僕がももいろクローバーZに提供した曲が「サラバ、愛しき悲しみたちよ」という歌詞になったことを知りませんでした。奇妙なシンクロニシティですね。「さらば青春の光」と合わせると「さらば三部作?」となりましたが、僕はこの歌詞がとっても気に入っています。皆さんにも是非熱く歌ってもらいたいと思います。胸がぐっと震える曲です。

3)Don't Give Up!(作詞/いしわたり淳治)

 先行シングルのアルバム・ミックス。シングルより音がワイドになっているのを感じてもらえると思います。
 今回のアルバムのMIXは全曲、今井邦彦さんに手がけてもらいました。当初は英国のエンジニアも候補に挙がっていましたが、日本語の繊細なニュアンスを伝える為にも、布袋サウンドの良き理解者でもある今井さんにお任せして良かったと思います。外人のエンジニアと仕事をして一番難しいのは日本語のセンテンスを伝えること。同じ日本人同士でも難しいのですから、彼らに理解しろという方が無理な注文です。
 今回のアルバムは渡英前の東京でリズム・トラックを、そしてロンドンでギターやストリングス、コーラス、サックスなどのレコーディングが行われました。Metropolis StudiosのSam Wheatというエンジニアとは初めてのセッションでしたが、非常に真面目な好青年で、和やかでクリエイティブなレコーディングとなりました。僕の音楽はキル・ビルのテーマ曲しか知らず(といっても英国でもほとんどの人がこの曲を知っていることはとても嬉しいことです!)僕の要求に応えようとマイク選びからセッティングまで努力を惜しまず頑張ってくれました。
 この曲はゼマティスのメタルトップ、ソロはサスティニアックです。最近ではヘヴィな歪みの多いサウンドを求める時は、ほとんどメタルトップを使用しています。バランスの良いギターで、歪ませてもビートの粒が消えません。テレキャス、ストラト、ゼマティスの3本があれば、自分のすべてを表現できると思っています。

4)Never Say Goodbye(作詞/布袋寅泰)

 「大切な人との別れ。しかし心と心は永遠に繋がっている」別れをテーマに書いた久しぶりのラブソングです。高校をドロップアウトして、プロのミュージシャンになるという夢を叶える為に、故郷の群馬から上京した時の思いと、昨年、東京からロンドンに向かって出発する時の思いは、とてもよく似ていました。自ら何かを断ち切るように別れを選ぶ。何かがスタートするときは、何かが終わるときでもあります。
 シンプルなメロディを活かすため、なるべく装飾的なアレンジを排除しました。ドラムはあらきゆうこさん。モダンと王道のバランスが素晴らしい彼女のドラミングが、淡々としていながらも沸き上がる情感をとてもよく表現してくれました。
 シンプルなゼマティスの刻みはOKテイクの歪み加減がどうしても気に入らず、何度も録音し直しました。暗すぎず、そして乾き過ぎず、胸の温度感をイメージすればするほどその音を出すのは難しく、このアルバムで一番手こずった曲かも知れません。
 美しいストリングスは古き友人であるサイモン・ヘイル氏のアレンジのもと、久しぶりにアビイ・ロード・スタジオで録音しました。アビイ・ロードには住んでいたこともあるので懐かしかった。以前アシスタント・エンジニアだった人が立派なメイン・エンジニアとなり録音に参加してくれたのが嬉しかったです。ロンドンのストリングスは相変わらず素晴らしく、この曲の色彩を深めてくれました。
 このアルバムの中でも最も好きな曲のひとつです。
 
5)Come Rain Come Shine(作詞/岩里祐穂)

 タイトル曲の「Come Rain Come Shine」。Jazzのスタンダードにも『Come Rain or Come Shine』という曲があります。直訳すると「降っても晴れても」という意味になりますが、「どんな時も」と大きな意味で使われる言葉のようです。
 「ロンドンは天気が悪い」という印象をお持ちの方も多いと思いますが、確かによく雨は降るし曇り空も多いけど、一日中じとじとと降る雨はなく、雨のあとには必ず気持ちのよい青空が広がります。一日の天気予報も「雨のち晴れのち雲、のち雨のちところにより雷、霧」と、一日のうちにすべての天候が表示されることもあります。今回のアルバム・ジャケットの写真はロンドン在住の元プラスチックスで活躍なさっていたチカさんのお家の屋上をお借りして、アートディレクター兼カメラマンの永石勝さんに撮影してもらったものです。この日の空も白い雲と雨雲が青空に同居するコントラストがとてもロンドンらしく、まさにタイトル通りのジャケットが生まれました。
 ニュー・オーダーやOMDなどにも通ずるNEW WAVE、エレポップ風サウンドの核になったのは、あらきゆうこさんのストイックなドラムです。初期のドラムマシーンは無機質ななかにもどこか温もりがありました。彼女のドラムはいつもヒューマンな体温を感じます。ギターは「HOTEIモデル」この曲でもアンディ・マッケイ氏のサックスが色彩を放ちます。青空をゆったりと雲が泳いでゆくような、そう、ROXY MUSICの名作「AVALON」の世界観です。当初ギターソロだった箇所に岩里さんが歌詞を書いてしまったので歌ってみたら意外に面白く、初めての歌詞付きのギターソロが生まれました。
 僕はこの曲をヘッドフォンで聴きながら朝ジョギングするのが好きです。軽やかな気持ちで一日をスタートできるのです。皆さんもどうぞお試しになってみてください。

6)My Ordinary Days(作詞/森雪之丞)

 生涯のマイ・フェイバリット・アルバムと訊かれたら、高校生の頃からの愛聴版である10ccの「How Dare You! / びっくり電話」と答えます。中でも「I Wanna Rule the World」や「Don't Hang Up」などの、めくるめく展開が繰り広げられる曲には首ったけでした。演劇的で、どことなくユーモラスでスラップスティック、それでいてキュンと泣けるメロがある。僕の音楽はきっと一般的にビートの効いたアグレッシヴで男臭いイメージでとらえられていると思います。実際そういった部分をあえてデフォルメして表現してきたところもあり、それはそれで誤解でも間違いでもないのですが、この「My Ordinary Days」のような曲をいつか作りたい!とずっと思っていました。今回この曲を作れたのは、森雪之丞さんの長年の夢であったロックオペラ「サイケデリック・ペイン」という舞台作品の音楽を担当させてもらったおかげかもしれません。いつもの音楽制作過程とは全く違う、脚本の中のストーリーや登場人物、そして台詞に合わせて曲を作るという作業はとてつもなく大変なものでしたが、同時にとても刺激的なものでした。初のミュージカル音楽を楽しみながら書けたのは、中高生の頃夢中になった10ccやキンクス、QUEENやスパークスといった、シアトリカルな要素を取り入れたバンドを聴いてきたからでしょう。
 この曲に歌詞をつけるのは作詞家にとっても大変な作業だったと思いますが、そこはさすが森雪之丞さん。「大好物だよ!」と言って快く引き受けてくれました。「アンティークの目覚ましは週に3度 ...壊れる」という森さんならではの印象的なフレーズからスタートするこの曲は、いくつものパートがコラージュのように折り重なって進行します。リズムもツービートからワルツに、スローな幻想的なシーンから徐々にテンポアップして行き着くエンディングはサーカスの音楽をイメージして作りました。歌詞の中に登場するリスは僕の暮らすロンドンの家にときおり顔を出すかわいいリスです。
 人々は様々なストーリーと共に、川のように流れてゆく人生を紡いでいる。楽しく、切ない素敵な曲です。

7)Daisy(作詞/いしわたり淳治)

 コケティッシュな雰囲気のこの曲もまた、CARSやスクイーズなど、僕の愛したNEW WAVEバンドの匂いを散りばめた楽しい曲です。いしわたりくんとの詞の打ち合わせの際、主人公は「少女」、追いかけてもスルリとかわされる、天使のような笑顔で時をかける、不思議な少女の物語にしよう、と決めました。そして彼が作り上げたのがこの「Daisy」という女の子。
 はじめのデモテープではBメロもサビもストレートな8ビートでしたが少し単調な気がしたので、思い切ってBメロをワルツに、サビを半分のテンポに落としました。結果的にとても不思議で斬新な仕上がりとなりました。時には大胆な発想も必要だということを再確認することができました。
 ドラムは山木秀夫さん。日本最高峰のドラマーでありながらも、レコーディングではいくつもの種類のスネアを試してくれたり、プレイに関しても音に関しても決して妥協しない姿勢から多くのことを学ばせてもらいました。最近はデジタルレコーディングの利点を活かし、時間や予算を考えての効率的なレコーディングが主流となりましたが、スタジオは我々ミュージシャンにとって最高の修行の場です。いい音を出すには、いい音を録音するには、そしてそれを再生するには、技術や知識や感性、そしてなにより努力が必要です。
 ギターは「HOTEIモデル」、歪ませても歪まないこのギターならではのビートサウンドです。

8)Higher(作詞/森雪之丞)

 ギターキッズがまずコピーしたくなるのがこの曲ではないでしょうか?何故ならそれを狙って作った曲だからです(笑)。AC/DCのようなハードロックの王道リフに、モダンなサンプルやダンサブルなビートを絡めたこの曲はライブに映える曲でしょう。
 2弦3弦4弦を開放ポジションから人差し指と薬指で3フレット、5フレットで押さえ、ブリングオフする。シンプルなリフですが、僕はこれに親指で6弦を押さえて低弦の響きを加え、さらにへヴィーなリフに仕上げました。リフの合間をしっかりミュートしてブレイクを作ることで、LED ZEPPELINのようなムードが出たと思います。
 ここでもギターのディストーションの歪み具合がポイントで、あまり歪ませすぎると音と音が繋がってしまい古くさく感じてしまいます。もちろん好みにもよりますが、歪みは極力抑えた方がプレイのニュアンスや、プレイヤーの感情が伝わると僕は思っています。
 ドラムは村石雅行さん。ハードロックの王道感を活かしつつ、シンプルかつモダンに叩いてほしい、と細かいフィルのニュアンスまで僕の意見を聞き入れてくれました。このアルバムは山木さん、あらきさん、村石さんという、個性溢れる実力派ドラマー3人に参加してもらいました。打ち込みのビートも好きですが、生ドラムのシュミレーションには飽きたというのも正直なところ。やはりドラムは生がいいですね。
 バンドにおいてドラマーの存在は最も大切だと言うことは言うまでもありません。僕のようなリズムが命のギタリストにとって、誰と組むかによってプレイも大きく変わります。
 2013年の全国ツアーでは、先日10年振りの作品を発表したDAVID BOWIEのアルバムに全面参加したザッカリー・アルフォードが帰ってきてくれます。ザックの叩くこの「Higher」がどんなGrooveになるのか、今からとっても楽しみです

9)Stand Up(作詞/布袋寅泰)

 日頃ふとした瞬間にリフを思いつくことがあります。そんな時は携帯電話の録音機能を使いこっそり小声で録音するのですが、後に聴いても半分以上は使い物になりません。この「Stand Up」もリフから出来た曲です。頭の中でリフが鳴り、徐々にバンドサウンドが重なってGrooveしてくると、思わず「カッコイイ!」とにんまりしてしまうのですが、端から見れば単なる気持ちの悪い人ですね。
 歌詞は僕。いつもながらボキャブラリーの少ない、体温の高い歌詞ですが、リフを弾きながらシャウトして気持ちいい言葉だけを選んだつもりです。
 Bメロの「誇りがあれば 傷だらけでいい 誰にも負けない 強さが欲しい 心の奥で 燃え盛る炎 解き放て」は僕の心に燃える炎の証。うつむきがちな毎日で、この曲を聴いて少しでも気持ちがStand up!してくれる人がいれば、作者冥利に尽きます。

10)Rock'n Roll Revolution(作詞/布袋寅泰)

 ツアータイトルにもなったこの曲もまたシンプルなリフから作り上げた曲です。リフには単音のメロディから作られたもの(The Rolling StonesのサティスファクションやLed ZeppelinのBlack Dog、Lenny KravitzのAre you gonna go my wayなど)と、コードワークから作られたもの(キンクスのYou really got meやDeep PurpleのSmoke on the waterなど)がありますが、この曲は後者。いつもならフェンダーのテレキャスターで弾くところですが、今回は少し暴れた感じの音にしたくて、あえてストラトキャスターを選びました。
 ギターソロはリズム録りの時に弾いた一発もの。アルバムの中で一番ワイルドなソロかもしれません。普段レコーディングではソロのパートをアドリブからスタートし、しっくりくるフレーズを選びます。何度聴いても飽きない、ギターソロも一緒に歌えるような曲の一部としてのソロを完成させるよう心がけています。一度フレーズが決まると完成させるまで何時間も同じソロを弾いていることがあります。そうなるとスタジオの誰も声をかけられません。聴いている人にはきっと同じソロに聞こえるでしょうが、僕は弦とピックの当たり方や、ちょっとした音の処理、入り口のスリル感や終わりの長さなど、病的なまでにこだわってしまいます。僕のいいところでもあり、悪いところでもあるのかな。最近の曲はほとんどギターソロなど入っていないものが多いですね。「誰も弾かぬなら俺が弾く!」ではないですが、ギターソロならではの開放感を皆さんに味わってもらいたいと思っています。
 
11)Dream Again(作詞/岩里祐穂)

 作詞家の岩里さんとは今井美樹の「Miss you」が最初の出会い。最近ではももクロの「サラバ、愛しき悲しみたちよ」で久しぶりに御一緒させていただきました。美しい静かな言葉に深い情熱を感じさせる彼女の詞は、遠い景色の向こうに見える様々な感情を呼び起こさせてくれます。
 30周年アニバーサリーイヤーではBOØWYの「DREAMIN'」をオーディエンスの皆さんと一緒に歌わせてもらいました。ステージから見る客席の笑顔にはきっと、それぞれが戦ってきた様々な思いが込められていたと思います。
 20代初め、夢だけを追いかけて生きていたあの頃。その後いくつもの夢を叶え、またいくつもの葛藤や挫折を繰り返し、僕はこうして50歳という年を迎えました。人生の後半を迎えた今「俺は今も夢を追いかけているか?」と自分に問いかけたことがきっかけで、昨年の渡英に繋がったような気がします。
 すべての夢が叶うものではない。現実との狭間で、夢ばかりを追いかけて生きてゆくのは簡単なことではない。しかし、自分が自分らしくあるがために、夢は決して捨ててはいけない。この曲はすべての夢追い人に贈る静かなる応援歌です
 ストラトの澄んだ音と、暖かいストリングスが抱きしめ合うように奏でる夢の歌。
 「時は流れて今でも胸の炎絶やさずに あの日の憧れを追いかけているかい」胸を熱くする素敵な詞をプレゼントしてくれた岩里さんに心から感謝しています。

12)Promise(作詞/布袋寅泰)

 この曲は東日本大震災が起こった後「この悲しみに向けて自分はミュージシャンとしてなにが出来るか」と、自分に問うことから生まれた曲です。自分にとっては3.11の象徴的な曲であるがゆえに、このアルバムに入れることを当初はためらったのですが、最後にこうして並べてみると「このアルバムはこの曲を生んだ時からスタートしていたのだ」と思えるほどエンディングにふさわしい曲となりました。
 ミュージシャンという道を選びこうして生きている自分の願いは、音楽を通して聴く人の心を少しでも前向きに、元気にさせることです。僕も人生において苦しい時も嬉しい時も、いつも音楽に支えられ、助けられ、勇気づけられてきました。音楽に対する恩返しをしなければなりません。
 心のこもった魂の音楽を作り、奏で、伝えてゆくことが、僕と僕の音楽を聴いてくださる皆さんとの「約束」だと思っています。


 この「COME RAIN COME SHINE」が、たくさんの皆さんの元に届きますように。
 
 降り止まぬ雨はない。皆さんの明日が、光り輝く日となりますように。


  布袋 寅泰

 
 
jacket.jpg

2012年12月22日

* もう一度夢をみよう。


ヴァージンアトランティック航空 VS900便。

ロンドン~東京へのこの便に今まで何度も乗ったが

今回の帰路は感慨深い思いでいっぱいだ。



2012年8月終わり。

渡英を決意してから約一年。

いよいよその決意を実行に移す日が来た。

僕はスーツでネクタイをぎゅっと締めて、家族とともに成田空港に向かった。

大いなる旅立ちの日だ。ビシッとしていたかった。

空港に向かう車から見える風景も今までとは違って見える。

夢を叶える為に故郷の群馬を飛び出した10代のあの日のことを思い出した。

空港には小渕君と友人が見送りに来てくれていた。

搭乗時間となり窓から景色に手を振った。

離陸し地面から機体が離れてゆく。

胸の底からこみ上げるものを感じながら一席向こうの美樹さんの後ろ姿を見ると

肩が震えているのがわかる。

それを見た娘が「ママ、パパ、手を貸して」と言った。

二人の手を握って彼女は言った。

「行ってきまーす!って元気に言おうよ!」

父母と一緒に涙を流してしまうのを拒むかのような力強く、優しい一言だった。



ロンドンでの生活はまさに毎日が冒険と挑戦の連続。

今まで幾度もなく単身で訪れた馴染みの深い街とは言え、

家族とともに住民として暮らすのは初めての事だし、旅行者気分というわけにはいかない。

VISAや運転免許、学校の手続きや生活圏の情報収集エトセトラ、エトセトラ...。

何より全く新しい環境に娘が順応できるか?

そして英語にまだ苦手意識がある美樹さんがストレスを抱え込まないか?

それが心配だったが、学校が始まり、お友達もできた娘は活き活きとした表情を見せはじめ、

美樹さんは週末に開かれるオーガニックマーケットでお目当ての野菜を注文できるようになったし、

近所のフレンチ・カフェで小銭が足りない時

「マダム、足りない分は次回で結構ですよ!」と言ってもらえるようになった!


ロンドンは大きな公園も然り、街中が自然に溢れている。

高層ビルの隙間から月を眺めていた都会での生活とは大きく異なる。

近所の池では二羽のは白鳥がワルツを踊っている。

我が家の小さな庭では愛犬ルーリーとリスが追いかけっこしている。

(機敏でしなやかな身のこなしのリスにルーリーが追いつく事はないのだが...)

毎朝、庭の木に生ったリンゴやプラムをもぎ取り頬張る。

洋梨が毎日少しずつ減ってゆくのを不思議に思っていると、

ある日ルーリーが口の周りをペロペロしながらコソコソしている姿を見つけられ犯人がバレてしまう。

サマータイムは夜の10時頃まで空は明るく、ついついワインが進んでしまう。

美味しいチーズやオリーブ、形は悪いが色も味も濃いオーガニックなサラダがあれば

手頃なテーブルワインがとっても美味しい。

「英国の食べ物は不味い」と誰もが言うが、僕は全くそうは思わない。

オーガニックという意識が根付いた彩りに溢れた食生活は、不味いどころか逆に豊かに思えることもある。


ルーリーと近所の公園や森を散歩することから僕の一日が始まる。

約一時間の散歩&ジョギングから帰ってくるとルーリーも、そして僕のスニーカーも泥だらけになっている。

東京のアスファルトではスニーカーはいつまでも新品だ。

ご存知の通り、ロンドンはよく雨が降るが(ほぼ毎日?)日本のように一日中降っていることはない。

多少の雨なら傘もささない英国人を不思議に思っていたが、今は僕も気にしない。

傘の代わりに防水加工が施された帽子やジャケットが重宝する。

天気予報でも雨のことをシャワーと呼ぶが、スプリンクラーのような適量の雨が自然を豊かにしているのだろう。

出かける時は真っ暗だった空が、帰る頃には別の日のように晴れ渡っている。

青空に誘われ鼻歌まじりで出かけると、途中でホラー映画のような雲が覆い被さる。

こんな天気の風土だから、ミュージカルが生まれるのかもしれない。


娘は学校でラテン語を、そして歴史の授業ではローマ時代を学んでいる。

家で突然「これってラテン語で何て言うか知ってる?」なんて聞かれると父母は黙るしかない。

タクシーに乗れば運転手から「Where are you came from?/あたなは何処から来たのですか?」

と聞かれ「日本からです」と答え「あなたは?」と尋ねると

「ブルガリア」「ケニア」「スロバキア」「インド」「ジャマイカ」など、いかに多くの多国籍人種が

この街に住んでいるかを知る。

人種とは文化であり、文化とはコミュニケーションであり、この街が世界に繋がっていることを感じる。

日本では考えられないような光景を目の辺りにすることもよくあるが、

秩序に縛らることなく、自由を共有する為のルールを守ることに慣れているのか、

嫌な気分になるどころか、思わず笑みがこぼれてしまうことが多い。

と同時に、日本の繊細な文化や日本人の心を思い出すと、いかに日本が時別な国かということを痛感する。

娘にはそんな日本人の美しさを忘れずに、大胆な世界人に育ってほしいと願う。


先日ローリング・ストーンズの50周年記念ライブを家族で観に行って来た。

本場ロンドンで観るストーンズは格別だった。

女王陛下のダイアモンド・ジュビリー、そしてロンドン五輪でも世界中が拍手を送った

イギリスが「ロックンロール帝国」であることを、50歳を迎えた恐竜たちが証明した。

一人のロックファンに戻りグッズ売り場の列に並んだり、客席ではオーディエンスと共に拳を突き上げ

「I know, It's only rock'n roll but I like it!/たががロックンロールとは知っているけどそれが好きさ!」

とシャウトすることで、身体の中に突風のような風が吹くのを感じた。

規模はもちろん違うものの、「ああ、こうして自分の30年間もオーディエンスと繋がっていたんだな」と

思うと、いかに自分が幸せであったか、

そして自分にとってステージがいかに大切なものであるかということを改めて考えさせてくれた。

若き頃は「ストーンズは好きじゃない」なんて言っていた自分だが、今はストーンズに夢中だ。

いや、今もロックンロールに夢中だ。


そんな最中、僕は4年振りのオリジナルアルバムのレコーディングを行っていた。

東京で録音されたリズムトラックをベースに、ギターや歌、そしてストリングス等のダビングを

ギタリズム2を録音した思い出のメトロポリス・スタジオで行った。

今までのロンドンレコーディングはいつもスタッフと一緒だったが、

今の音楽制作を取り巻く環境は厳しく、そんな余裕はない。

一人でミニクーパーを運転してスタジオに通い、イギリス人エンジニアとアシスタントの三人で

黙々と作業を行った。

ある日、夜中を過ぎての帰宅中、ラジオをつけるとT.REXのご機嫌なブギーが流れた。

夜空の大きなオレンジ色の月を追いかけてドライブしていると、ヘッドライトの先に影が現れる。

スピードを落とし影を追いかけるとそれは狐だった。

沿道に車を止め、狐のそばにそっと近づく。

美しいシルエットが月の光に映し出され、絵画のような幻想的なシーンを忘れられない。

レコーディングの最終日は普段ならスタジオで乾杯するところだが、

自分で機材を搬出しなければならず、乾杯はコークになった。

生憎の雨の中びしょ濡れになりながら、ランドローバーでギターやアンプなどを搬出したの

このアルバム・レコーディングの良き思い出となるだろう。



サマータイムが終わり冬時間が来ると、朝は8時になっても暗く、午後3時半にはまた暗くなる。

寒くて暗くて憂鬱な季節、渡英して慣れるまではストレスにやられてしまう人も少なくないと聞く。

時に我が家の朝も例に漏れず、ママと娘が冷戦を繰り広げることもあるが、

夕方学校に迎えに行く頃には異国の戦士達、熱き包容で互いを励まし合う。

最近は氷点下の朝もあり、手袋や耳当ても欠かせない寒い毎日が続くも

夜、キッチンに温かなスープの香りが漂い、ルーリーのご飯皿にもディナーが注がれる時間になると

我が家は寒さを忘れ、一日のそれぞれを労う大切な時間を迎える。

深まる夜に暖炉にともる炎を家族で見つめながら

「あったかいね。こんなあったかい冬は初めてだね」

と語りあうかけがえのない時間。

マーケットで買ったクリスマスツリーの横でルーリーが吐息を立てている。

今年はサンタクロースに何をお願いしようか一生懸命考えている娘が愛しい。



12月18日。


約20年振りのロンドンでのライブ。

場所はカムデンタウンのラウンドハウス。

朝のジョギングでふくらはぎを痛めてしまい、会場入りの際は足を引きずっていたのだが、

きっとこれも何かの意味があってのことだろう、と気持ちは下がらなかった。

今回のライブはゴールではなくスタートだ。

30年のキャリアのある日本のベテランも、ここロンドンではただの新人だ。

観客はもちろんのこと、招いたメディアやプロモーターに品定めをしてもらうための大切なライブ。

是非とも来年のヨーロッパでの活動に繋げたい。

そんな思いも含めインパクトのあるステージを、と日本からグラマラスなミュージシャンを招いた。

中村達也、TOKIE。そしてHOTEIサウンドの要、岸利至。

照明クルーとギターテック、そして現場周りの日本人スタッフと、

イギリス人スタッフとのチームワークもバッチリだ。

一曲の「キル・ビルのテーマ」からステージが始まると予想以上のモニター環境の難しさに動揺するも気合いは充分だ。

目の前には日本からはるばる来てくれた100人を越えるファン、そして英国在住の日本人の皆さん、

観客の半分以上は日本人だったが、その中に見える多くのインターナショナルな観客の顔。

一曲ごとに反応は高まり、アンコール最後の「Fly into your dream」のソロが終わった時には

会場は大きな拍手に溢れ、このコンサートが大成功であったことを実感する。


楽屋に戻り、高揚する気持ちを抑えるかのように、鏡に写る自分にこう誓う。


いよいよ始まった。

夢の続きを見よう。

そして叶えよう。


終演後、関係者の集うバーにはたくさんのミュージシャン達の姿があった。

ロキシーミュージックのアンディ・マッケイとフィル・マンザネラ。

マッドネスのボーカルサッグスや、ティン・マシーン/David Bowieバンドのリーヴス、

アポロ440やNeal Xなどのレニー・ザカテックなどの古き友人達との再会も嬉しかった。

インコグニートのブルーイや元ストーンズのビル・ワイマンも来てくれたと聞いた。

誰もが最高のショウだったと肩を叩いてくれたのが嬉しかった。

もちろん色々乗り越えるべき課題も多く、完璧なライブとは言い難かったものの

経験なくして学ぶことのできない多くを感じることができた貴重な体験。

ここからまた新たな物語がスタートするのだ。

喜びも悔しさも、決して忘れない。



そんな2012年がもうすぐ終わろうとしている。


 2月 さいたまスーパーアリーナ。50歳の誕生日記念ライブ。

 6月 武道館。念願のオーケストラとの共演。

 8月 英国移住。

12月 ロンドン。ラウンドハウス。


この一年を僕は一生忘れないだろう。


10年後、60歳を迎えることができたら、50歳の決断を褒めてあげたい。

ギターを担いで世界中を旅しているだろう。

大きく育った娘が巣立つその先が大きな世界であることを信じたい。

その頃、ルーリーはもういないかもしれない。

しかし共に海を越え、ロンドンの川のほとりを走った日々を忘れはしない。

美樹さんとは手を繋いで公園を歩いていたい。

また冬が来たら暖炉を見つめて「今年もあったかいね」と語り合いたい。


あなたは10年後、なにをしていますか?


それは誰にも判らない。


自分が生きているとも限らない。


だからこそ、夢を追いかけていたいんだな。


もう一度夢を見よう。今を生きた証に。



ある朝、娘がキッチンで鼻歌を歌っていた。

「I know, It's only rock'n roll but I like it!」

ミックのような軽やかなステップを踏みながら。


それを見て、僕は涙が溢れた。


PP272.JPG

                                                                   Photo by 山本倫子


ただいま、東京。


しかし僕らの帰る場所は、ロンドンだ。