BEAT主義日記 the principle of beat hotei official blog

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2011年12月アーカイブ


2011年は文字通り激動の一年だった。

2月1日の49歳の誕生日に日本武道館からスタートした30周年記念企画。

今まで僕を支え励まし続けてくれたスタッフやミュージシャン、家族や友人、

そして誰よりもファンの皆さんに感謝の気持ちを伝えたいという思いから始まった2011年。


そして3月11日、悲劇は起こった。


その時、僕は東京の自宅にいた。

ガクンと大きな揺れを感じた時がちょうど娘の下校時間と重なっていた。

激しく揺れる大木や電線を見て、まさかこの状況の中、子供たちはいつもの通学路を歩いているのでは!?

そう思った瞬間、僕は学校に向かって走りだしていた。

いや、実際はあまりに揺れのため、とてもまっすぐ走ることなどできなかった。

幸い子供たちはまだ学校から出ておらず校庭に集まり、先生の声を聞いていた。

安全確認ができるまで校庭からお出しできません、と先生の声。

日頃の避難訓練の成果か、子供たちは比較的落ち着いた様子で先生たちの指示に従っていた。


門の外で待つしかなくなった親たちは情報を得ようと必死になった。

しかし携帯電話は全く繋がらなかった。

そんな中、僕がたまたま今年から始めたTwitterから新しい情報がどんどん流れてきた。

震源地が東北地方であることを知り僕は動揺した。

なぜなら美樹さんがドラマ「冬のサクラ」の撮影ロケで、早朝から東北方面に向かったことを思い出したからだ。

ドラマ班とは電話が繋がらなかったがTwitterのフォロワーを通じて彼らは東北には向かっていないことを知った。


TwitterのTL上では大津波が襲来との情報が、リアルタイム映像のリンクと共に何度もRetweetされた。


信じられない映像が次々と流れ、あまりの衝撃で身動きできなかった。

仙台に住む親戚の無事を祈った。

そして思い出の数々が蘇る。


幼少の頃、親戚を訪ね毎夏休み訪れた岩手県釜石市。

どこまでも深い蒼色に澄み渡った美しい陸中海岸。

毎朝活気にあふれる魚市場。

情にあふれる人々の笑顔。


3月11日以前の日本にはもう戻れない。


その後、誰もが自分という存在の無力さに打ち拉がれたのではないだろうか。

僕もその中の一人だ。

悲しみと恐怖に心を支配され、報道をただ見つめ、身動きすらできない弱い自分がいた。

恥ずべきことに「音楽など無力だ」とさえ思ったことを告白する。


自分ができることは何か?

自分がすべきことは何か?

自分がしたいことは何か?


自問の日々を繰り返し、たどり着いたのは


『自分のできることを誰かの為に精一杯やるしかない』


というシンプルな答えだった。


思えばこの30年間僕は

自分の腕を磨き、自分のスタイルを築き、自分に挑み、自分を高め、自分を壊し、自分を超える。

言ってみれば「自分を基準に」音楽と向き合ってきた。

それを許してくれたのが、僕を信じ、僕を支え、僕にエールを送ってくれた皆さんだ。

そう、冒頭に記したように『感謝の気持ちを伝える』ことにすべてを捧げることが

今僕にできるささやかながらも最大の恩返しであると心に決め、今年は一心不乱に突っ走った。


武道館、代々木競技場、大阪城ホール、東京ドーム、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン、

国際フォーラム、渋谷公会堂、そしてツアーでは久しぶりに全国各地を回った。


一年間でこれだけのスケールのライブをやったことは、30年の歴史の中でも初めてかもしれない。


自分の音楽、ギター、BEATのすべてを奏でると、目の前のオーディエンスが眩いばかりの笑顔で声援を返してくれる。

抱きしめ合うような、優しく温かな時間を共有する。

何度も目頭が熱くなる瞬間があった。

「誰かのために」という想いをぶれることなく貫いた結果、僕のギターは今までの何倍も豊かになった気がする。

心とギターが直結したかのごとく、音そのものが僕の気持ちであり、言葉であり、魂の叫びとなる。

30年目にしてやっとたどり着いた、ギターとのひとつの境地。


過酷なスケジュールが身体に堪えない、と言えば嘘になる。

しかし「誰かのために」と思えば乗り越えられる。

東北にはもっともっと頑張っている人たちがいるのだ、

そう思うと泣き言など言ってられない。



そんな2011年のラストステージは仙台サンプラザ公演だった。


釜石の親戚一家や、仙台に転勤になり被災した高校の同級生も客席にいた。

ライブ前にTwitterや手紙で「過酷な日々が続いているけど、この日だけを楽しみに頑張ってきた」

といった内容の言葉をたくさんいただいた。

仙台からだけではなく、東北各県からのお客さんが会場を満員に埋めてくれた。

自分にとっても「仙台でライブをやること」は間違いなく特別な想いに溢れていた。

そしてそれは今年の活動において信念を貫き走り続けたひとつのゴールでもあった。

幕が上がり大歓声とともに始まった「宇宙一のロックンロールショウ」。

拳をあげて歌い、叫び、踊り、ジャンプし、手を振り、見つめ合い、

笑顔と涙がひとつになって、心と身体が生まれ変わるように熱くなる。

心と心で抱きしめ合って、奇跡のような瞬間の連続だった...。


「いつかまた、今日の笑顔で、いや、今日よりもっと輝いて、

 また会うことを約束してくれないか?」


そんな僕の言葉に、みんなが笑顔でうなずいてくれた。



2011年を一生忘れない。


自分は自分らしく、自分のできることを精一杯やればいい。


単純なことだけど、難しいことだ。


今、私たちには目標がある。


子供たちへの豊かな未来を作る、という目標が。




海の音が聞こえる南の島でこれを書いている。


透き通った風、太陽のきらめき、豊かな緑、

聞いたことのない小鳥のさえずり、異国情緒溢れる大きな花、

そしてミニマルミュージックのような止まらないさざ波...。


楽園にいても、体内の音楽は止まらない。



皆さん、今年は大変お世話になりました。

代々木公演やCOMPLEXではチャリティーに参加していただき、ありがとうございました。

皆さんの声援があったからこそ、今年は全力疾走することができました。

来年の一月、名古屋と大阪公演にてツアーも終了。

そして2月1日にはいよいよ50歳記念バースデーライブが開催されます。

また温かいオーディエンスに会えるその日を今から楽しみにしています。

どうぞ、御身体御自愛のほど。

心穏やかな年末年始をお過ごしください。


もう一度。


2011年、本当にありがとうございました。


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先日ロンドンを訪れた際、古き友人のヴィクトリアの家に招かれた時の話。
「日本でも月額定額制の音楽配信はポピュラーなの?」
と、小さなコントローラーでまるでジュークボックスを操作するように
彼女のお気に入りのアーチストを検索し、次の瞬間にはクリアなサウンドがキッチンを満たしていた。
月極の一定額を支払うことでライブラリを共有し、好きな曲が好きなだけ聴けるのだという。
日本では様々な権利問題等が絡み実現には時間がかかるであろうが「未来は今」、
音楽の形態はここまで変わったのだ、と実感した。

1962年生まれの僕は完璧なアナログ世代。
音楽を聴く手段は、レコードを買うか(貸しレコードはなかった)ラジオを聞くか、の二者選択しかない。
ラジオをエアチェックしてカセットに録音しても、何度も繰り返し聞いているとテープは劣化し回転数が落ち
悪魔の呪文のような、海底民族の宴のような、恐ろしくも悲しい音楽と化す。
当時のレコード盤は中学生のお小遣いではせいぜい月に一枚のアルバムを買うのがやっとで
現在のようにインターネットもYOU TUBEも、フリーペーパーもメルマガもない時代であるから情報など皆無に等しく、
限られた音楽誌のレビューかレコードショップのお兄さんお姉さんのお勧めか、
もしくは超感覚的にレコードの帯の宣伝文句やジャケットのアートワークに頼るしかなく、
一枚レコードを買うということはある種の賭けに近い感覚だった。
アナログレコードは傷ついてしまったらおしまいなので、まるで宝物を扱うように慎重にジャケットから取り出し、
また、ステレオのターンテーブルにのせ針を落とす瞬間など、息を止めるのが当たり前でそれはそれは緊張したものだ。
今のようにスキップ機能などあるはずがなく、一度レコードに針を落としたら、A面が終わるまで聴くしかない。
その頃のジャケットのアートワークはぶっ飛んだものが多く、それを眺めながら
時には宇宙旅行、時には砂漠の一本道を爆走し、時にはアフリカの大地へ、そして時には夜のパリの街にワープした。
あの時、音楽に自分のすべてを委ねた時間は、僕と言う人間の大切な部分を形成した貴重な経験であることは間違いない。

30年前に運良くもバンドでデビューを果たし、念願の「自分のレコード」を作ったときの喜びは忘れられない。
発売日にレコードショップに行って、自分のレコードを目立つ位置に並べ替えたりしたものだ。
そして間もなく「レンタル・レコード」が出現した。
一人に一枚の宝物から、皆で共有できるシステムが成立し、そして今、音楽は形をなくし、
小さな端末に膨大な量の音楽が持ち運べるようになった。

ある日、所属事務所の社長が
「布袋、形ある音楽を残す最後のチャンスは今かもしれないぞ」
と、今回のBOX SETのアイデアを語り始めた。
彼の話を聞いているうちに「これは未来へのタイムカプセルなのかもしれない」と思った。
アナログレコード、CD、DVD、という僕が辿った「音楽」を、目に見える形で残したい。
スタッフとともに約一年がかりで編集、リミックス、リマスタリングを施し、
未発表の音源と映像を収録した、オリジナルアルバムだけでは伝えきれない
「布袋寅泰」という音楽家のすべてを感じてもらえる、文字通り集大成と呼ぶにふさわしいBOX SETが完成した。

まずは、ギタリズムシリーズがすべてアナログ盤として復刻された。
これは僕にとっても最高の宝物だ。

そして「架空のサウンドトラック集」には、結婚披露パーティーに参加してくれた皆さんへのプレゼントとして配った
美樹さんと二人で録音した映画「男と女」のテーマ曲や、上海オペラの為に書き下ろした10曲の舞踏音楽、
ハリウッドからオファーを受けたものの結果的にプロジェクト自体が消滅したホラー映画音楽などが収録されている。

「アコースティック集」には以前NHKでディスクジョッキーを担当していた番組で披露した弾き語りなどが収録された。

「インストルメンタル集」にはCMの為に制作した音楽が、「DANCE集」には、おなじみの曲のバージョン違いが、

さらに「ライブCD」として、昨年マンスリーで行ったリキッドルームでの緊迫感溢れる演奏や、
現在進行中の「メモリアル・スーパー・ベスト・ツアー」の模様も収録。

DVDには1998年にフランスで行われたベルフォート・フェスティバルに出演した時の映像や
ドイツのライブハウスでのショーケースの模様、それらを振り返るインタビュー。
品川ステラボールで行われた中村達也、TOKIEとの3ピースによる白熱のライブが収められている。

その他にも、すべてのシングル、そしておなじみの曲達のレアなバージョン、未発表曲などなど
詳細はホームページに記されたものを確認して頂くとして、とにかく盛りだくさんの内容である。

アートワークを手がけてくれたのはBOφWY後期からCOMPLEXのすべてを手がけてくれた永石勝さん。
凛とした美しいデザインは永石さんならではのもの。


僕の50歳の誕生日である2月1日にリリースされるこの『HOTEI MEMORIAL SUPER BOX』。

重くて邪魔で、無意味なモノかもしれない。

しかし、僕にとってはかけがえのない『宝物』なのである。

大切な人と、大切に分かち合いたい。

高価なものだけど、内容は価格以上のものであることを、ここにお約束しておく。

どうぞお楽しみに!


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映画「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」のテーマソング

「ミッション:インポッシブルのテーマ」

の着うたフル(R)/着うたフルプラス(R)/PCの
配信がレコチョクiTunes、その他PC/モバイル配信サイトにてスタートしました!

先日トム・クルーズさんにお会いした際も、彼もとても気に入ってくれている御様子で
今回参加させていただけて本当に良かった思います。

不滅の名曲のアレンジに挑戦した布袋流「ミッション:インポッシブルのテーマ」
豪快で疾走感溢れるスリリングな仕上がりになっています。

どうぞ皆さんで是非ダウンロードしてお楽しみください!

映画好きのお友達にも是非御紹介くださいね。


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