BEAT主義日記 the principle of beat hotei official blog

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2012年2月 3日

* 夢と共に、50歳。


僕の50代最初の朝は、いつもと変わらぬ愛犬ルーリーの散歩から始った。
いつもと変わらぬ公園のいつもと変わらぬ道を、いつもと変わらぬ歩幅で歩いた。
いつもと変わらぬはずの景色や風、太陽の光が、いつもとは違って感じられた。

追憶...。

10代は春風のように過ぎた。
小学生の頃。群馬の自然に満ちた環境の中、友達と山で遊び、川で泳いだ。
夕焼け燃える田んぼ道を自転車で全力で駆けたものだ。
勉強はあまり好きではなかったが、生徒会長に選ばれた。
小さな恋もした。
ピアノを弾くのが好きだった。
中学受験をし私立の学校へ。
自由な校風の中、テニスやサッカー、読書など、心身ともにのびのびと過ごした。
高校生になると煙草は吸ったがバイクには乗らず、不良にもならなかった。
14歳でロックンロールに恋をした。
ギターを買い仲間とバンドを組み、新しいコードを覚えるたびにドキドキした。
コンテストに何度も挑戦したが、唯一もらえたのはゴミ袋で作った衣装が評価された「アイデア賞」だけ。
ベストギタリスト賞など、遠い夢のまた夢だった。
高校卒業を待てずドロップアウトし東京へ。
風呂もトイレもない小さなアパートで、ギターと一緒に暮らし始めた。

20代は冒険の時代。
同郷の仲間とバンドを結成し幸運にもデビューを果たすも、なかなか思い通りにはいかなかった。
今思えば、あの時の悔しさがその後の人生の糧となった。
ワゴン車に乗りライブハウスを廻った。
僕らのロールスロイスはクーラーが効かなかったけど、いつも笑い声に溢れていた。
23歳で結婚をした。
若い自分は大きな心に欠けていた。
初めて飛行機に乗り、ベルリン、ロンドンを旅した。
その後、バンドは爆発的な成功を手にした。
ある日、キャッシュカードの残高照会を見て驚いた。
機械が壊れたのだと思い、可能な額を急いで引き出した。
ビートルズのような日々を過ごし、ビートルズのように幕を閉じた。
それからはパスポートが真っ黒になるくらい、世界中を旅した。


30代は挑戦の時。
一度手にした栄光にすがることなく、常に新しいものを提示する姿勢を貫きたかった。
自分を壊し、また構築する。その繰り返しだった。
CMや映画など、ギタリストの仕事ではない世界にも挑戦した。
DAVID BOWIEとの夢の競演、アトランタ五輪閉会式への参加など多くのチャンスにも恵まれた。
世界中を飛び回り、幼い頃父に言われた「世界は広いのだ」という言葉を体感した。
様々な人種や文化に接することで、感覚を磨いた。
次から次へと沸き上がるアイデア。多忙でクレイジーな日々。
満たされていたけど、なぜかどこか淋しかった。

40代は自分を見つめるべき大切な時となる。
生死を彷徨う怪我を負ったが奇跡的に助かった。
多くの人々に支えられ、生まれ変わったような気持ちのリハビリ中、愛娘が誕生した。
原点回帰する思いでギターと向き合い、自分のスタイルを見つめ直した。
ギターを手にして30年目にしてようやく、ギターの弾き方がわかってきた。
ライブハウスに戻り、毎月違うメンバーとセッション・ライブを行った。
それはとても貴重な経験だった。
ギターを弾くのがまた、楽しくなってきた。
スーツが好きになった。
シンプルな生き方もいいな、と考えるようになった。
毎朝ルーリーと、いつもの公園のいつもと変わらぬ道を、
いつもと変わらぬ歩幅で歩くのが日課となった。
真夜中の静寂より、朝の太陽が好きになった。


20歳の頃、30年後の自分など、想像もつかなかった。
大人になんかなりたくなかったし、大人になんかなれないと思って生きてきた。
きっとそれは誰もが同じだろう。
年を重ねることは、若さを失うことであり、
自由奔放な生き方を奪われることだと、どこか怯えるような感覚がある。
しかし、生きている限り、時は流れ、人は年老いてゆく。
それを受け入れ、楽しみ、人生を満たしてゆくのは、自分次第。

穏やかな気持ちで迎えた50歳の朝。

美樹さんの作った和朝食を食べ、ルーリーとの散歩に出かける。
トレーナーと時間をかけて全身をストレッチした後、軽くトレーニングをし筋肉に意識を繋げる。
シャワーを浴びて白いシャツにブラック•タイを結び、スーツを着る。
迎えの車に乗り、コンサート会場に向かう。
楽屋入り口でいつものスタッフ達が「おめでとうございます!」と声をかけてくれる。
楽屋にはパスタが用意されている。
リハーサルのステージで愛すべきバンドと握手を交わす。
微笑み合いながら音を重ねる。
誰もいない広いホールにロックンロールが鳴り響く。
照明やカメラがその音を追う。
準備が整い、楽屋に戻り、メイクをしながら開演時間を待つ。

幕が開く。

歓声。

僕は、長い花道をギターと共に走りだす。

光の中、左足でステップを踏みながらギターをかき鳴らしながら、

僕は心の奥で叫んだ。

「ここまできたぞ」

と。


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                                                                            (PHOTO by 山本倫子)


熱狂のステージから楽屋に戻ると母がいた。
「あなたの息子も50になりましたよ」と語りかけると
「信じられないわね」と微笑んだ。

その後、大切な仲間たちとのパーティーは夜更けまで続いた。



翌日、母から受け取った手紙を読み、胸がいっぱいになった。


お誕生日おめでとうございます。
今夜のコンサートは過去と未来の大切な夢がいっぱいのコンサートと思います。
美樹さん、愛娘さんに素敵な夢を差し上げて下さい。
私は日本一幸せな母と、嬉しく感謝申し上げます。
どうぞ、体を御自愛なさいますよう。




美樹さんからは「50代も素敵な旅人でありますように」と素敵な鞄をもらった。

娘からもらったキディランドの袋には、彼女がラインストーンでデザインしたという携帯ストラップが入っていた。

そこには

「I ♥ROCK」

というキラキラとした言葉。



素晴らしい家族やスタッフ、そして素晴らしい友人やファンの皆さんの祝福と共に迎えた50歳。
我ながら本当に幸せな男だと思う。
皆様、本当にありがとうございました。

そしてこの人生の大きな節目に、自分らしくいられたことを誇りに思うと同時に、
いつまでも夢を追いかける少年の瞳を忘れずに、カッコいい大人を目指し精進したい。


人生、まだまだこれからだ。