BEAT主義日記 the principle of beat hotei official blog

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2012年4月 9日

* 最初の桜。最後の桜。


毎年桜が咲くたびに、心に風が舞うのです。

思い出が胸に咲き誇り、思い出が胸に散るのです。

幼い自分の手を握り、隣にいたのは着物姿の母でした。
幼稚園だったか小学校だったかは定かではないけれど、
まるでへその緒のように固い絆を感じさせるその手を放せば
無限の宇宙のような自由と孤独が待ち受けているような気がして
ぎゅっと握ればぎゅっと握り返す、その手が放れる瞬間が恐かった。
桜は何も言わずに、その瞬間を見つめていた。

高校も卒業もせず、夢を追って故郷を飛び出した若き頃。
卒業式のその日は、一人アパートでごめんなさいと呟いて
叶えてみせる、とギターをつま弾いた。
数年後、夢は叶い、そしてまた桜の頃に散りました。
バンドの卒業式は東京ドームでした。

海外を旅するたびに出会う外国の人は口をそろえて言いました。
「日本の一度でいいからCHERRY BLOSSOMを見てみたい」
日本人でいながら日本の美しさを伝える術を知らなかった僕は
桜がなんとも誇らしく、日本がなんとも誇らしかった。
桜は世界に咲く花なのですね。

病室の窓から桜を見たこともありました。
春が来れば当たり前に咲く桜が、なんと愛おしく思えたことか。
新しい桜を待たずに旅立つ人がいることを、忘れてはいけませんね。
義父は桜にも孫にも会えず天に召されました。
娘が生まれてからは毎年桜に向かって
「お義父さん、こんなに大きくなりましたよ」
と報告するようになりました。

大震災の起きた日、妻は「冬のサクラ」というドラマのロケ先にいました。
命の尊さを謳った物語の最中で多くの命が失われたことに心震え
どうかまたあの桜が咲きますようにと祈りました。
あの日、僕らにとって桜は命の象徴でした。

母の黒髪は、美しい銀髪になりました。
それもそのはず、息子は今年50歳になりました。
母の姿を見るたびに、また来年も桜に「咲いてほしい」と願うのです。

昔の人は満月の桜の下で自決を果たしたという言い伝えがあります。
生まれ変わりの儀式だったのでしょうか。
それとも美しき別れを、月と桜に託したのでしょうか。

出会いの桜。別れの桜。

最初の桜。最後の桜。

毎年桜が咲くたびに、心に風が舞うのです。

心に風が

舞うのです。




sakura.JPG