BEAT主義日記 the principle of beat hotei official blog

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2012年12月22日

* もう一度夢をみよう。


ヴァージンアトランティック航空 VS900便。

ロンドン~東京へのこの便に今まで何度も乗ったが

今回の帰路は感慨深い思いでいっぱいだ。



2012年8月終わり。

渡英を決意してから約一年。

いよいよその決意を実行に移す日が来た。

僕はスーツでネクタイをぎゅっと締めて、家族とともに成田空港に向かった。

大いなる旅立ちの日だ。ビシッとしていたかった。

空港に向かう車から見える風景も今までとは違って見える。

夢を叶える為に故郷の群馬を飛び出した10代のあの日のことを思い出した。

空港には小渕君と友人が見送りに来てくれていた。

搭乗時間となり窓から景色に手を振った。

離陸し地面から機体が離れてゆく。

胸の底からこみ上げるものを感じながら一席向こうの美樹さんの後ろ姿を見ると

肩が震えているのがわかる。

それを見た娘が「ママ、パパ、手を貸して」と言った。

二人の手を握って彼女は言った。

「行ってきまーす!って元気に言おうよ!」

父母と一緒に涙を流してしまうのを拒むかのような力強く、優しい一言だった。



ロンドンでの生活はまさに毎日が冒険と挑戦の連続。

今まで幾度もなく単身で訪れた馴染みの深い街とは言え、

家族とともに住民として暮らすのは初めての事だし、旅行者気分というわけにはいかない。

VISAや運転免許、学校の手続きや生活圏の情報収集エトセトラ、エトセトラ...。

何より全く新しい環境に娘が順応できるか?

そして英語にまだ苦手意識がある美樹さんがストレスを抱え込まないか?

それが心配だったが、学校が始まり、お友達もできた娘は活き活きとした表情を見せはじめ、

美樹さんは週末に開かれるオーガニックマーケットでお目当ての野菜を注文できるようになったし、

近所のフレンチ・カフェで小銭が足りない時

「マダム、足りない分は次回で結構ですよ!」と言ってもらえるようになった!


ロンドンは大きな公園も然り、街中が自然に溢れている。

高層ビルの隙間から月を眺めていた都会での生活とは大きく異なる。

近所の池では二羽のは白鳥がワルツを踊っている。

我が家の小さな庭では愛犬ルーリーとリスが追いかけっこしている。

(機敏でしなやかな身のこなしのリスにルーリーが追いつく事はないのだが...)

毎朝、庭の木に生ったリンゴやプラムをもぎ取り頬張る。

洋梨が毎日少しずつ減ってゆくのを不思議に思っていると、

ある日ルーリーが口の周りをペロペロしながらコソコソしている姿を見つけられ犯人がバレてしまう。

サマータイムは夜の10時頃まで空は明るく、ついついワインが進んでしまう。

美味しいチーズやオリーブ、形は悪いが色も味も濃いオーガニックなサラダがあれば

手頃なテーブルワインがとっても美味しい。

「英国の食べ物は不味い」と誰もが言うが、僕は全くそうは思わない。

オーガニックという意識が根付いた彩りに溢れた食生活は、不味いどころか逆に豊かに思えることもある。


ルーリーと近所の公園や森を散歩することから僕の一日が始まる。

約一時間の散歩&ジョギングから帰ってくるとルーリーも、そして僕のスニーカーも泥だらけになっている。

東京のアスファルトではスニーカーはいつまでも新品だ。

ご存知の通り、ロンドンはよく雨が降るが(ほぼ毎日?)日本のように一日中降っていることはない。

多少の雨なら傘もささない英国人を不思議に思っていたが、今は僕も気にしない。

傘の代わりに防水加工が施された帽子やジャケットが重宝する。

天気予報でも雨のことをシャワーと呼ぶが、スプリンクラーのような適量の雨が自然を豊かにしているのだろう。

出かける時は真っ暗だった空が、帰る頃には別の日のように晴れ渡っている。

青空に誘われ鼻歌まじりで出かけると、途中でホラー映画のような雲が覆い被さる。

こんな天気の風土だから、ミュージカルが生まれるのかもしれない。


娘は学校でラテン語を、そして歴史の授業ではローマ時代を学んでいる。

家で突然「これってラテン語で何て言うか知ってる?」なんて聞かれると父母は黙るしかない。

タクシーに乗れば運転手から「Where are you came from?/あたなは何処から来たのですか?」

と聞かれ「日本からです」と答え「あなたは?」と尋ねると

「ブルガリア」「ケニア」「スロバキア」「インド」「ジャマイカ」など、いかに多くの多国籍人種が

この街に住んでいるかを知る。

人種とは文化であり、文化とはコミュニケーションであり、この街が世界に繋がっていることを感じる。

日本では考えられないような光景を目の辺りにすることもよくあるが、

秩序に縛らることなく、自由を共有する為のルールを守ることに慣れているのか、

嫌な気分になるどころか、思わず笑みがこぼれてしまうことが多い。

と同時に、日本の繊細な文化や日本人の心を思い出すと、いかに日本が時別な国かということを痛感する。

娘にはそんな日本人の美しさを忘れずに、大胆な世界人に育ってほしいと願う。


先日ローリング・ストーンズの50周年記念ライブを家族で観に行って来た。

本場ロンドンで観るストーンズは格別だった。

女王陛下のダイアモンド・ジュビリー、そしてロンドン五輪でも世界中が拍手を送った

イギリスが「ロックンロール帝国」であることを、50歳を迎えた恐竜たちが証明した。

一人のロックファンに戻りグッズ売り場の列に並んだり、客席ではオーディエンスと共に拳を突き上げ

「I know, It's only rock'n roll but I like it!/たががロックンロールとは知っているけどそれが好きさ!」

とシャウトすることで、身体の中に突風のような風が吹くのを感じた。

規模はもちろん違うものの、「ああ、こうして自分の30年間もオーディエンスと繋がっていたんだな」と

思うと、いかに自分が幸せであったか、

そして自分にとってステージがいかに大切なものであるかということを改めて考えさせてくれた。

若き頃は「ストーンズは好きじゃない」なんて言っていた自分だが、今はストーンズに夢中だ。

いや、今もロックンロールに夢中だ。


そんな最中、僕は4年振りのオリジナルアルバムのレコーディングを行っていた。

東京で録音されたリズムトラックをベースに、ギターや歌、そしてストリングス等のダビングを

ギタリズム2を録音した思い出のメトロポリス・スタジオで行った。

今までのロンドンレコーディングはいつもスタッフと一緒だったが、

今の音楽制作を取り巻く環境は厳しく、そんな余裕はない。

一人でミニクーパーを運転してスタジオに通い、イギリス人エンジニアとアシスタントの三人で

黙々と作業を行った。

ある日、夜中を過ぎての帰宅中、ラジオをつけるとT.REXのご機嫌なブギーが流れた。

夜空の大きなオレンジ色の月を追いかけてドライブしていると、ヘッドライトの先に影が現れる。

スピードを落とし影を追いかけるとそれは狐だった。

沿道に車を止め、狐のそばにそっと近づく。

美しいシルエットが月の光に映し出され、絵画のような幻想的なシーンを忘れられない。

レコーディングの最終日は普段ならスタジオで乾杯するところだが、

自分で機材を搬出しなければならず、乾杯はコークになった。

生憎の雨の中びしょ濡れになりながら、ランドローバーでギターやアンプなどを搬出したの

このアルバム・レコーディングの良き思い出となるだろう。



サマータイムが終わり冬時間が来ると、朝は8時になっても暗く、午後3時半にはまた暗くなる。

寒くて暗くて憂鬱な季節、渡英して慣れるまではストレスにやられてしまう人も少なくないと聞く。

時に我が家の朝も例に漏れず、ママと娘が冷戦を繰り広げることもあるが、

夕方学校に迎えに行く頃には異国の戦士達、熱き包容で互いを励まし合う。

最近は氷点下の朝もあり、手袋や耳当ても欠かせない寒い毎日が続くも

夜、キッチンに温かなスープの香りが漂い、ルーリーのご飯皿にもディナーが注がれる時間になると

我が家は寒さを忘れ、一日のそれぞれを労う大切な時間を迎える。

深まる夜に暖炉にともる炎を家族で見つめながら

「あったかいね。こんなあったかい冬は初めてだね」

と語りあうかけがえのない時間。

マーケットで買ったクリスマスツリーの横でルーリーが吐息を立てている。

今年はサンタクロースに何をお願いしようか一生懸命考えている娘が愛しい。



12月18日。


約20年振りのロンドンでのライブ。

場所はカムデンタウンのラウンドハウス。

朝のジョギングでふくらはぎを痛めてしまい、会場入りの際は足を引きずっていたのだが、

きっとこれも何かの意味があってのことだろう、と気持ちは下がらなかった。

今回のライブはゴールではなくスタートだ。

30年のキャリアのある日本のベテランも、ここロンドンではただの新人だ。

観客はもちろんのこと、招いたメディアやプロモーターに品定めをしてもらうための大切なライブ。

是非とも来年のヨーロッパでの活動に繋げたい。

そんな思いも含めインパクトのあるステージを、と日本からグラマラスなミュージシャンを招いた。

中村達也、TOKIE。そしてHOTEIサウンドの要、岸利至。

照明クルーとギターテック、そして現場周りの日本人スタッフと、

イギリス人スタッフとのチームワークもバッチリだ。

一曲の「キル・ビルのテーマ」からステージが始まると予想以上のモニター環境の難しさに動揺するも気合いは充分だ。

目の前には日本からはるばる来てくれた100人を越えるファン、そして英国在住の日本人の皆さん、

観客の半分以上は日本人だったが、その中に見える多くのインターナショナルな観客の顔。

一曲ごとに反応は高まり、アンコール最後の「Fly into your dream」のソロが終わった時には

会場は大きな拍手に溢れ、このコンサートが大成功であったことを実感する。


楽屋に戻り、高揚する気持ちを抑えるかのように、鏡に写る自分にこう誓う。


いよいよ始まった。

夢の続きを見よう。

そして叶えよう。


終演後、関係者の集うバーにはたくさんのミュージシャン達の姿があった。

ロキシーミュージックのアンディ・マッケイとフィル・マンザネラ。

マッドネスのボーカルサッグスや、ティン・マシーン/David Bowieバンドのリーヴス、

アポロ440やNeal Xなどのレニー・ザカテックなどの古き友人達との再会も嬉しかった。

インコグニートのブルーイや元ストーンズのビル・ワイマンも来てくれたと聞いた。

誰もが最高のショウだったと肩を叩いてくれたのが嬉しかった。

もちろん色々乗り越えるべき課題も多く、完璧なライブとは言い難かったものの

経験なくして学ぶことのできない多くを感じることができた貴重な体験。

ここからまた新たな物語がスタートするのだ。

喜びも悔しさも、決して忘れない。



そんな2012年がもうすぐ終わろうとしている。


 2月 さいたまスーパーアリーナ。50歳の誕生日記念ライブ。

 6月 武道館。念願のオーケストラとの共演。

 8月 英国移住。

12月 ロンドン。ラウンドハウス。


この一年を僕は一生忘れないだろう。


10年後、60歳を迎えることができたら、50歳の決断を褒めてあげたい。

ギターを担いで世界中を旅しているだろう。

大きく育った娘が巣立つその先が大きな世界であることを信じたい。

その頃、ルーリーはもういないかもしれない。

しかし共に海を越え、ロンドンの川のほとりを走った日々を忘れはしない。

美樹さんとは手を繋いで公園を歩いていたい。

また冬が来たら暖炉を見つめて「今年もあったかいね」と語り合いたい。


あなたは10年後、なにをしていますか?


それは誰にも判らない。


自分が生きているとも限らない。


だからこそ、夢を追いかけていたいんだな。


もう一度夢を見よう。今を生きた証に。



ある朝、娘がキッチンで鼻歌を歌っていた。

「I know, It's only rock'n roll but I like it!」

ミックのような軽やかなステップを踏みながら。


それを見て、僕は涙が溢れた。


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                                                                   Photo by 山本倫子


ただいま、東京。


しかし僕らの帰る場所は、ロンドンだ。